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「私の欲望は他者の欲望である」
と、ラカンは言った
母が子どもを欲望する
可愛い、愛おしいという想いをかけて授乳し、
お風呂に入れ、おんぶし、抱っこする
まだ言葉も理解しないと解っていても声をかける
「○○ちゃん、はいおっぱいよ」
「○○ちゃん、おねむなの?」
「○○ちゃん、お散歩しましょうねえ」
などなど
母の熱い想いに導かれて
赤ちゃんは成長する
たとえ母の勝手な思いを押し付けたとしても
それに答えようとするものである
やがて、この母の欲望に基づく世話行動を通して
「母に必要とされている」
あるいは
「どうでも良い存在なんだ」
とのメッセージを刻印する
まだ言語を理解しない時代であっても
情動と皮膚感覚を通して刻印される
以後、その刻印の上に経験値を積み重ねることとなる
母が子どもを世話せず、放置したり、他の誰かに預けっぱなしの場合
子どもは「母にとって、どうでもよい存在」
「母に見捨てられた」
「母は自分を嫌っている」
と感じるだろう
子どもにとって母は世界そのものである
幼少であればあるほど、その度合いは当然高い
ゆえに
母から適切な世話をしてもらえない=母に見捨てられた=生きる意味は無い
と、体と情動に刻印したとしてもおかしくはない
母に必要とされていると思える体験
母に愛されていると感じられる体験
何があっても、母だけは解ってくれる
母だけは自分を見捨てない
これらの体験が
この世に生きている意味があると思える基礎となる
母が「○○のような人になって欲しい」と欲望すること
そして
それを言葉と態度で伝えること
その母の欲望を我が欲望として子どもは生きてゆく
つまり、
子どもは大好きな母の期待に応えようとするのだ
母が子どもを見捨てたとしても
子どもは決して母を見捨てることはない
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらへ http://signifiant-lab.com/raise/
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「監禁」や「拘束」と言うと
まず、事件性のある状況を思い浮かべることだろう
辞書によると
「監禁」は人を一定の場所に閉じ込めて、行動の自由を奪うこと
「拘束」は思想、行動の自由に対する制限、制約のこと
とある
しかし、この状況が一般家庭で普通に行われていることに
どれだけの人が気付いているだろうか?
あなたは「監禁」や「拘束」をしていませんか?
言うことを聞かないから
友達と遊んではダメ
おやつは無し
好きなおもちゃやゲームやお菓子は買わない
ゲームやテレビはダメ
と制限していませんか?
危ないからといって
幼児期に過剰な拘束をしていませんか?
例えば
寝返りをしないように何かで体を動かないようにしたり
出ないように閉じ込めたりしたことはありませんか?
外へ遊びに出ることを禁じていませんか?
ほとんど皆
「子どもの為を思って」
「忙しくてできないから仕方ない」
などの理由をあげるでしょう
もちろんそれを「監禁」や「拘束」だと言うつもりはありませんし
「監禁」や「拘束」ではないでしょう
ただ、それを受ける子どもの側から見た時に
どのように感じるだろうか?と問いかけたいのです
「したいのにさせてもらえなかった」
「何一つ自分の思うとおりにさせてもらえなかった」
「いつも親のいいなりだった」と語り
PTSDや閉所恐怖症やパニック障害、対人恐怖の原因の一つになったり
過剰に家や部屋にこだわったり
イヤリングやピアス、ネックレス、時計、ハイネックセーターやショルダーバッグ、メガネもダメ
などの症状に繋がる場合がある
親は「子どものためを思って」しているつもりが
子どもはそれを「監禁」や「拘束」と受け取ってしまう場合もあることを忘れてはいけない
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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親にとって困ったことをする子
親の言うことを聞かない子ども
親に反発する子ども
やんちゃをする子ども
乱暴な子ども
よその子をいじめる子ども
子どもは親の言うことをなかなか聞かないものだ
子どもにとってもどんなメリットがあるのか?
親に叱られたり、時にはお仕置きをされるにきまっている
なのに、解っていてどうして止めようとしないのか?
親も「いつもいつも同じことを言わせて、いい加減解ってもよさそうなのに!!」
と益々ヒートアップする
親子で一つのゲームをしているようなものだ
たいていは
子どもが仕掛けて、その仕掛けに親が乗り、
最後は子どもが泣いて終わるか
親が「アンタみたいな子は知らん!勝手にしなさい!!」
と捨て台詞を吐いて終わる
これを「愛の確認ゲーム」と名付けよう
子どもは一体何を訴えているのか?
「お母さん、僕を(私を)愛してる?」
「こんな僕(私)でも見捨てない?」と問いかけているのだ
この問いかけをしなければならないほど不安になっているのだ
「自分は欲望された存在なんだろうか?」
「自分は欲望されてこの世に誕生したのだろうか?」
「そして、今でも欲望されているのだろうか?」
自分の存在の根源に対する問いかけの前に立っている
もちろん、子ども自身も意識してはいないことだろう
子どもにとって母はすべてなのだ
世界のすべてだと言っても過言ではないのだろう
だから時として確認せずにはいられない
それほどまでに子どもにとって母は最大の欲望の対象、愛の対象なのである
ただ、悲しいことに、
母を困らせ、怒らせることでしかその愛を確認する方法を知らないのだ
否、それが一番母の愛を確認する方法だと知っているのかもしれない
ゆえに、
子どもが困ったことをする時、悪いことをする時は
母に愛を向け、母の愛を確認するゲームを仕掛けているのである
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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理想のイメージに少しでも近づけるために必死に教える
その為には時間とエネルギーとお金は惜しまない
他のことを犠牲にしてまでもつぎ込む
そのことが生きがいであるかのように
ますます狂信的にのめり込む
「これだけ全てを犠牲にしているのだから期待に応えて当然だ。そのためなら何でもする」
少しでも期待に応える兆しが見えれば
「これは見込みがある」
「もっと強化すればもっと伸びる」
反面、期待を裏切るようなことがあれば
形相を変えてムチを振り下ろす
「どれだけあなたのためにすべてを犠牲にしてきたと思ってるの!」
「もっと頑張りなさい」
「できるまで食事はお預け」
叱咤激励は加速する
どんどん強迫的に、脅迫的になり、付きっきりですべてを管理する
かたや、その期待に応えようと必死に努力する
他のすべてを犠牲にし、ハアハア喘ぎながらも走り続けようとする
こうしてニコイチ、運命共同体ができあがる
重みで足が地面に食い込むような期待を全身で背負いながら
歯を食いしばって、ひたすら走り続ける
これらの必死の苦労は他者へのお披露目でクライマックスを迎える
この日の為に血の滲むような努力をしてきたのだ
すべてはこの日の為に!
周りからの歓声と鳴り止まない拍手喝采を浴びる
誰の喜びか?誰の満足か?
それは飼育員と調教師
飼育された側に主体性はない
あなたに覚えはありませんか?
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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虐待されることで心的外傷を受け、それがトラウマとなる
それは頷けること
しかし、その虐待を見ていた人の方ががトラウマとなる場合がある
親から兄弟が虐待を受けていた
自分はなす術もなく、ただ逃げ出すことも加勢することもできず
見ていることしかできなかった
おまけに
「お前も言うこと聞かなかったらこうなるんだからな!」
と威嚇される
親の前で無力な姿
あるいは
母親を虐待する父親を見ている場合もある
父に対する怒りと母に対する同情
非力で父の暴力に屈する母への怒り
強大な力の前の圧倒的な無力を見せ付けられる体験
家庭内だけではなく
戸外でもある
目撃者となり、その場から立ち去ることもできない
無力な自分を経験した場合
直接的に受ける暴力だけでなく
時には見ている方が心的外傷を受ける場合も多い
次は自分の番かもしれない
いつ自分に危害が及んでくるかもしれない
自分の方がもっと酷いかもしれない
どうすれば逃れられるのか?
やっぱり無理だ
怖い、どうしよう
黙って耐えるしかないetc
何もされていないにも関わらず脅え、凍りつく
このように見ている方も同じく、あるいはそれ以上に
脅えや恐れを痛感している可能性が高い
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