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【2025/07/14 19:20 】 |
無力化
子育てはある種の闘争だと思える時期がある
代表的な最初は「トイレットトレーニング」
 
「オムツの中にしたい時にする」垂れ流し VS 「決められた場所でする」コントロール
親の側では「いかに程よく躾けるか?」がテーマとなる
子どもの側では、決められた場所でするしないを選択する権利を得ることで
親をコントロールする(振り回す)ことを学習する
この両者の闘争とも言える時期に厳しく躾けすぎると「無力化」の基礎を作ってしまう
 
自分の思うとおりに躾けられないと、親は自分の無力を感じる
この無力感を否認するべく、是が非でも躾けることに躍起になる
失敗したらお尻を叩いて怒る
特に夜は無理矢理起こしてトイレに連れてゆくetc
威嚇と体罰で従わせようとする
それに対して子どもは、泣きわめきや暴れ、時には「おねしょ」で対抗する
それでも強大な親の躾けの前に屈したなら、自分の「無力感」を味わてしまう
闘争の結果、子どもは「敗者」になったのだ
 
これらの上に、「躾け」という名の支配が重ねられてゆく
「~しなさい」
「~したらダメ」
圧倒的強者の前に屈することを刻印付けられ
親の言うことをよく聞く、従順な良い子が出来上がる
ココに至って、親の支配は完成する
以後、素直な良い子の仮面が子ども自身をコントロールする
「~ねばならない」
「~すべき」の仮面が締め付け、ますます無力化を推進することになる
この事実に親も子も気付くことは非常に難しいものとなる
 
自分は敗者だと常に感じていないだろうか?
自分は無力だと常に思っていないだろうか?

行き過ぎて「虐待」や「ネグレクト」になっていませんか?
少しでも心配な方は、お気軽にこちらまで相談ください。
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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【2011/10/21 18:37 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
なぜキレる?
「キレる」この言葉が一時期流行のようになったことがある
最近はあまり聞かなくなったように思うが
その状態の人は決して少なくなったとは思えない
 
キレるというのは、自分の感情を抑えきれず、
腹を立てたり人に危害を加える行動に出ることもある
自分の感情をコントロールできない状態が頻繁に見られること
いわゆる「感情爆発傾向」にある人
 
自分の思うようにならない時
イライラや腹立ちの感情が湧いてくるのは当然
その感情をどうするか?
つまり処理の仕方が問題となる
「すぐ腹を立てる」「怒鳴る」「殴る」「暴れる」などの行動で処理すると
キレやすいと言われる
 
ではなぜキレるのか?
「言語化できないから、行動化する」と言える
その時の自分の感情を適切な言語に置き換えられたならキレる度合いが減る
適切な言葉が見つからないから
感情をそのまま吐き出すしかない
たとえば
「アホ」「バカ」「ボケ」「クソ」「死ね」「うるさい」「黙れ」など
そのように思っていないのに口癖のように吐き出してしまう
一言、ワンフレーズしかない、つまり言葉を知らないのだ
 
キレない子どもを育てるにはどうしたら良いか?
言葉を学ぶ機会を多く持てる環境を整えることが大切だと思う
なぜなら、子どもは真似をすることで覚えてゆくから
(1)本を読む=文章を読む=語彙を増やす
   面白いと思う本(文章)の方が良い
(2)時々の場面で適切な言葉を教える
   「~がしたかったのにできなかったから怒っているのね」
   「~が欲しいのに貰えなかったので泣いているのね」
   「そんな時は〇〇と言えばいいのよ」
(3)感情を適切な言葉に置き換える環境が大切
   周りの大人が適切な言語を知り、使っていること
 
「人間は感情の動物だ」とも言われる
時にはキレることもあるだろうし、キレることはいけないと言い切れない
キレることがダメなのではなく
キレることでしか表現することができないことが問題なのである

キレる子どもさんでお困りの方はこちらまでご相談ください。
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/

【2011/10/18 22:18 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
愛という名の暴力
愛は時には「暴力」ともなる
相手のことが愛おしくてたまらない
だからこそ自分の理想の姿であって欲しい
そのためならどんなことだってする
命だって惜しくないとまで思う
この想いがややもすると、受け取る側には暴力でしかない場合がある
 
「愛しているからこそ」
「アナタのためを思ってしたこと」
「アナタのためなら何だってできる」など
これらの言葉に代表される
 
親子、恋人など心理的に非常に近い関係で生じやすい
相手の意志を無視した形となる
ひたすら自分の理想のイメージを相手に添付する
それは自分の理想の姿だから
自分がしたくてできなかった、なりたくてなれなかった姿だから
それを相手に押し付ける
「愛」という荘厳なベールに包んで
 
あなたのために、私は自分の時間もお金もエネルギーもすべて犠牲にしてきた
だからあなたも私のこの愛に応えるべきよ!
わたしのすべてをあなたに掛けてきたのだから!
 
与える側が「愛」のつもりであったとしても
受け取る側には「暴力」となることがある
それはなぜ?
それは「受け取る側が求めているものではないから」
 
≪愛とは持っていないものを与えることである≫ラカン
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/10/14 23:23 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
受動から能動へ-好きなことだけをする
社会に適応するためにと、幼少期から様々なことを教えられる
「思いやりをもちなさい」
「悪い事をしてはいけません」
「勉強しなさい」
「人に迷惑をかけてはいけません」
「立派な人になりなさい」
「規則や決まりを守りなさい」
などなど
ほとんどが「~しなさい」「~してはいけません」ばかりだ
そして、それが大事で、幸せになる方法だと教えられてきた
 
 
法に従うこと、規則を守ることは大切なこと
そのことと
自分が自分の意志に素直に生きることとは別のことである
 
ところが
他者と違う意見を言ったりしたりすると、わがまま気ままと見なされ
波風立てず周りと同じであることを求められる
その反面、
特に意見はない、皆と同じだと言えば
個性が無い、自分の意見を持っていないと言われる
 
幼少期からひたすら受身であることを学習してきた
ある時期それは必要な事でもある
しかし、受動から能動への切り替えをする必要がある
その初めが
「嫌!NO!」である
反抗期と言われる時期を通過して、受動から能動へと転換する
それこそが
主体性を持ち、主導権を持ち、社会へ参入してゆく端緒だと思う
 
どれだけの人が
「あなたの好きなことをしなさい」
「あなたの信じる道を進みなさい」
「あなたはあなたのままでいいのよ」
そう言ってくれただろうか?
 
思春期の反抗が始まったなら
喜んで言おう
「アナタの好きなことだけをしなさい」と!!
法に従い、規則を守る事の大切さは言わなくとも知っているのだから
それが育てることでもある
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/10/08 08:26 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
強迫性格-ねばならない・すべきからの開放

社会の中で適応して生きてゆくためには、法やルールを守ることは必須
それが適応することだし、対人関係もスムーズにゆくことだと教えられてきた
「相手の気持ちを考えなさい」
「相手が何を求めているかを思いやりなさい」
「それが素晴らしい人間である」
そのために、大人から
「~ねばならない」
「~すべきだ」
と、幼少期からしつけられる
確かに
「良い子だね」と褒められる
周りからの承認と賞賛を得ることで、ますます良い子になってゆく
 
気がついたときには
相手のことを一番に考え、決して決められた枠を壊さないない
適応した真面目で几帳面なルールを守る良い子となっている
主体性を奪われ、自己主張せず、相手の都合に合わせるロボットとなる
ここまでくれば、命令指示をしなくとも自らが自らを厳しく管理する
なぜなら、強固なプログラムが出来上がっているからだ
 
誰よりもいち早く状況をリサーチし、
どうすべきか、何をしなければならないかを瞬時に判断し
相手が言う前に動く
常にコンピューターが動き続けているのだ
シャットダウンする暇はない
少しでもミスすると、とたんに不安が突き上げてくる
必至になって修正しようとやっきなる
 
このようにして強迫性格ができあがってゆくのだ
時には過剰適応となり、心身ともに疲弊してしまう
それでも止められない
法やルールを守り、固定化されたレールの上をひた走る
決して脱線しない、ましてやレールから降りることなど考えられない
それしか知らない、それしかできない強迫性格
非常に貧しい空洞化の生き方だとも言える
命令や指示がないと動けず、
それをしてくれる場所や人を求め続ける
もう嫌だと思いつつも、それを壊すことはそれ以上に怖い
 
溜まったストレスが閾値を越えても、必至にこらえる
それらの一部が漏れ出たのが
「きれい、汚い」に代表される強迫行為や強迫観念などの症状
 
そこからどれだけ自由になるか?
既存のレール自体を破壊するか?
それは
「~ねばならない」「~すべき」からの開放でもある
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
【2011/10/06 12:12 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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