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【2025/07/02 05:22 】 |
377)オールOK-思春期以前

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOK-思春期以前」 について考えてみます。

オールOKの基本は『要求が出たら、敏速に的確に行動で応える』です。
これは年齢は一切関係なく共通している対応方法です。
ただ、年齢によってその要求する目的の違いがあります。
かなり大雑把ですが、思春期以前と以降に分けて考えます。
今回は、思春期以前の子どもに対するオールOKの基本を書きます。

幼少期から思春期以前(小学校低学年)の子どもが求めているその対象は「母なる人(以下ママ)」です。そして、その子どもの主な要求は「世話して欲しい(ママに甘えたい)」です。
ここでいう世話とは、適切な眼差しとスキンシップと関心を常に持っていることを指します。
幼少期は当然、大人からの世話は必須です。
ですが、小学校にあがる頃には手が離れてくるので、親の心も離れがちです。 
子どもは幼稚園、保育園、小学校という社会の中で、まだまだ分離不安を抱えながら通っています。
日々分離不安と闘いながら頑張っているのです。
逆に考えると、社会に触れた時、それまでの分離不安が一気に刺激されるのです。
そして、それに耐えられないと感じた時、その不安を解消したくなります。
それが様々な要求だったり、問題行動だったり、病気やけがです。

これが≪ママに甘えたい≫です。
「ママ見て」
「ママ聞いて」
「ママ抱っこして」
これらをストレートに表現できる年齢はせいぜい思春期まででしょう。
それ以後になると、子どもも親も抵抗を感じます。

このような理由から、思春期以前の子どもは要求の表現は分かりやすいといえます。
ですから、親の方も子どもの言う通りに対応すればよいのです。
子どもは様々な表現方法を使って親に訴えます。
親はそれらの事柄に振り回されないで対応することが大切です。
その要求や行動は、子どもがその時に考え得る最高の手段なのです。
それらを使って世話(甘え)を求めているのです。 
子どもの言葉や行動に惑わされずに、少し距離を置いてみましょう。
そうすれば、それまでとは違った何かが見えてくるのではないでしょうか?
子どもはまず誰よりもママを見ています。
そして誰よりもママが大好きだということを忘れないでいたいですね。
 

ご意見、質問等はシニフィアン研究所 真道満喜までご連絡ください。http://signifiant-lab.com/
Twitterでもどうぞhttps://twitter.com/sindoumaki

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【2014/05/05 10:09 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
376)オールOKは自己愛を育てる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKは自己愛を育てる」 について考えてみます。

ゴールデンウィーク後半真っ最中です。
この機会に夫婦で子育てについて語りあってみてはいかがでしょう。
夫婦の心が調和の和音を奏でていたら、子どもは心地よい音楽を聴いているようなものです。
それに子どもも加わって素晴らしいハーモニーを醸し出すことでしょう。
このような環境の中で自己愛は育ち、その環境をつくる方法が「オールOK子育て法」だと再確認したいと思います。

自己愛については以前にもブログで書きました。
自己愛の基本は三つ。
「自己肯定感」「自己価値観」「自信」です。
簡単にいうと「私にとってこの世界は生きている意味がある。」と言えることです。

オールOK子育て法は、まさしく世界を生きる意味があると言える環境を与えること です。
具体的には子どもの言うこと、すること、考えることすべてをまず聴く方法です。
この様に言うと、ほとんどの方は次のようにいいます。
「それってわがままになりませんか」
「将来子どもが困るでしょう」
「聞けることと聞けないことがあります」etc

否定しません。
ただ違いを説明します。
聴くとは、ただ耳を傾けるだけです。
その内容に正誤や判断、評価をせず、文字通り耳を傾けるだけを指します。
そうすると、出てくる言葉がたいてい決まります。
「そう、〇〇〇なの」
否定もせず、肯定もしていません。
これを聴くといいます。

相手からこのような応答がいつも返ってきたらどうでしょう。
自分の言葉が否定も肯定もされず、ありのままに相手に伝わった。
つまり、聴いてもらえた。
このように感じられるのではないでしょうか。
これを受容」といいます。 
受容された体験が後に、生きるって楽しい、嬉しいことがいっぱい、もっと楽しみたい、もっと嬉しいことをしたいとの好奇心を持たせ、行動へとつながっていくことでしょう。
そして、やがてこの世界は生きる意味があると感じ、思い、言えるようになるのです。 
このようにオールOKは自己愛を育てる方法だ」と言いいたいのです。

ここでは子育てに絞って書きましたが、この方法は子育てや年齢に限らず、すべての人の心を育てる方法でもあります。 
まず、夫婦で心を合わせて実践してみましょう。
そうすれば必ず結果がみえるでしょう。
反面、なかなか実践し続けることの大変さも感じることでしょう。
その時はこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
共に学ぶ方法もあります。 http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11

 

【2014/05/04 12:05 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
374)オールOK子育て法は自発性を育てる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOK子育て法は自発性を育てる」 について考えてみます

子育てについてたくさんのクライアントから相談や問い合わせがあります。
その中で、オールOKすることの大切さや必要性がなかなか理解できなかったり、理解できても実践することが難しい、続かないとの声があります。
当然のことです。
なぜなら、ほとんどの人は自らの親からオールOKなどしてもらった体験がないからです。
逆に、親にオールOKすることが良い子だとさえ教えられてきた人も多いのではないでしょうか。
そこで、この「オールOK子育て法」について様々な角度から考えたいと思います。
まず今回は「自発性を育てる」について書きます。

自発性とは他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされること。
このように辞書には書かれています。
特に子どもは未知のものに対して興味津々で、目を向け、手を出して触れたり掴もうとします。
それに対して周りの大人が可能な限り(命に係わること以外)その機会を奪わないなら、どんどん未知の世界への好奇心を育ててゆくことでしょう。
それが自発性を育てる環境だと思います。

身を持って体験したことはすべてその子どもの心身に貴重な記憶となって蓄積されます。
それらの記憶は後に類似の体験をした時に比較参照項とし、より的確な考えや判断を促す基礎となります。失敗も成功もすべて後の体験に活かされることでしょう。
一方、時には痛かったり、辛かったり、苦しかったり、怖かったりするかもしれません。
それらはいつか他の誰かと共に分かち合える事(共生・共感)にも繋がるでしょう。
このように、自発性は好奇心と相まって探究心へ、他者との共生・共感をも育てることになるのです。
そのことが社会とどのように関わっていくかの基礎にもなることでしょう。

思春期の子どもに直面した時、オールOKの対応は親の側に多大なエネルギーを必要とします。
なぜなら、対応する親は子どもの身体年齢と精神年齢のギャップについていけないからです。
つまり、身体は大人なのに心は幼児であることを受け入れようとしないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしてこの大きくなった子どもに今更このようなことまでしなければいけないのか。

自分は親からこんなことまでしてもらったことなどない。
益々わがままにしてしまうのではないか。
こんなことで社会で通用しないのではないか。
よその親はこんなことしてなくても問題はないのに。
色々湧き上がってきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オールOKは、まず自発性の学習をするための環境を整える方法なのです。
口出さず、見守り続けるなら、必ず自発性を学び、自ら判断行動するようになるでしょう。
その間表面的には見えなくても、内部では熟成しているのです。
そのためには時間が必要です。
親の側に必要なことはただ一つ『待つこと』それだけです。
一人では不安かもしれませんが、共に学び実践する場をもちましょう。
そのための講座もあります。

シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
精神分析的子育て法オールOK!http://signifiant-lab.com/raise/
不登校の子どもの母よりも参照ください。http://signifiant-lab.com/escape/

【2014/04/29 14:15 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
371)過食嘔吐の幻想(摂食障害)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「過食嘔吐の幻想」 について考えてみます

これらはまとめて「摂食障害」と呼ばれています。
以前、ブログでも摂食障害=接触障害だと書きましたが、今回は「過食嘔吐の幻想」について書きたいと思います。

結論からいうと、過食嘔吐の人は≪空っぽなのにいっぱいある≫という幻想抱いています。
そもそも過食嘔吐を繰り返す人は、内的空虚感を持ち、それを埋めるために食という手段を使っているといわれます。
つまり、心=胃に置き換えて表現しているということです。

空っぽだから取り入れたいとの欲望が湧き、一気に満腹になるまで食べます。 
ホッとするのもつかの間で、そんな自分を責めて自己嫌悪に陥り、一気に吐き出そうとします。
それが「過食嘔吐」です。口に指を突っ込んだり、水を多量に飲んだり、下剤を飲んだりします。
これらの行為をストップするために考えられる方法は二つ。

一つは空虚を埋めること。
もう一つは空虚を知りそれを食以外の方法に置き換えること。

まず「空虚を埋めること」ですが、これは不可能です。
なぜなら「内的空虚感」とういうのはその人の心が感じていることなので、何ものによっても埋めることはできません。
では二つ目の方法、空虚を知り食以外の方法に置き換えること。
これは可能ではないでしょうか。
これには二段階あります。

まず、内的空虚感を抱いていることを知り、それを認めること。
次に、食をどのような方法に置き換えるかです。
そうすれば過食嘔吐という症状は消えることでしょう。

これらは精神分析という方法で実現可能です。

以上から分かるように、過食嘔吐する人は内的空虚感を持ち、それを食行動で置き換えている人であり、その人が抱く幻想は「空っぽなのにいっぱいある」となるのです。

「過食嘔吐」に興味を持たれた方はお問い合わせください。
精神の構造を理解するための講座もあります。
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/

やさしい精神分析講座講座はhttp://signifiant-lab.com/#11
より詳しく知りたい方はインテグレーター養成講座http://signifiant-lab.com/#13



【2014/04/24 15:46 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
365)自分を変えるために環境を変える

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分を変えるために環境を変える」 について考えてみます

今までの自分とは違う自分に変わりたい時、環境を変えることで実現することを考えたいと思います。

今までとは違う新しい自分になりたいと考え、努力したけれど変えられなかった。
なぜ変えられなかった、変わらなかったのでしょう。
(自分の努力や技量や能力などは不問にします)

人は三つの自分(視点)を持っているといわれます。

「他者を見る自分」「他者から見られている自分=自分を見る他者」「それらを知っている自分」
これらを、
a)「他者を見る自分」=今の自分
b)「他者から見られている自分」=自分のことを知っている他者=他者が持っている自分のイメージ
c)「それらを知っている自分」=他者が持っている自分のイメージを想像する自分
このように置き換えてみます。

すると、今までの自分を変えるということは、これら3つのの自分を変えることになります。
つまり、自分を変えるためには3つの自分を変える必要があるということになります。

a)は書き換え可能です。
b)は、他者が持っている自分のイメージなので、自分では書き換えが難しいものです。
c)は、想像している自分なので、書き換え可能です。

このように考えてみると、一番難しいのはb)だとなります。
b)さえ書き換えることができたなら、自分を書き換えることはより可能となるでしょう。

相手の中の自分のイメージを書き換えるのは、難しいし、もしできるとしても多大なエネルギーを必要とすることでしょう。
逆に、自分を知らない相手と会った時はどうでしょう。
相手の中には、会った時からの自分のイメージが書き込まれます。
自分を知らない人の中に行けば、どんな自分からでもスタートできる。
つまり、環境を変えることで自分を変えることが可能となるのです。


「孟母三遷の教え」ということわざがあります。
故事ことわざ辞典によると、以下のように書かれています。
意味=子どものために、できうる限りよい環境を選ぶこと。
注釈=孟子の母子ははじめ墓地の近くに住んでいたが、幼い孟子は葬式のまねをして遊ぶのを憂え、市中に移り住んだが、今度は孟子が商売のまねごとをして遊ぶので学校の近くに転居した。すると今度は孟子は学習のまねを始めたので、孟子の母は安心してここに定住することにしたという故事から。「孟母三遷」とも言う。
また、「朱に交われば赤くなる」との慣用句もあるように、人は環境の影響を強く受けます。

このように、環境を変えることで自分を変えられるのなら、思い切って自分を取り巻く環境を変えてみるのも有用な方法の一つではないでしょうか。

自分を変えたいと考えている方、努力しているのに変えられないと悩んでいる方は、一度環境を変えてみてはいかがでしょう。
環境を変えるための決意があれば、可能となるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所では、そのような方の相談もしています。
ご希望があれば、出張もします。
詳しくはHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/

【2014/01/30 12:55 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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