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【2025/09/18 10:00 】 |
225)育児放棄(ネグレクト)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「育児放棄(ネグレクト)」について書きたいと思います。
昨日のヤフーニュースで以下の記事を見つけました。
一部引用します。

「母から隔離は脳に影響、横浜市大がラット実験 育児放棄解明へ/神奈川」
育児放棄(ネグレクト)が脳にどのような影響を与えるかを調べている横浜市立大学の高橋琢哉教授(生理学)のグループが、ラットを使って行った実験で、発育初期に母親から隔離されたラットは、環境に対する脳の適応力が低下することを発見、19日付の米医学誌に発表した。(詳しくはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120619-00000008-kana-l14

乳幼児期における養育者との分離の問題性は、
フロイトの時代から心理学、精神分析の分野では叫ばれていることです。
「今頃?!」と言いたいですが、生理学の分野でもやっと研究がされてきたようです。
この記事に触発されて、以前にも書きましたが(158、育児放棄参照)
再度、
なぜ「育児放棄(ネグレクト)」をしてしまうのか?
母親の側から考えてみたいと思います。

①母親の無知・無理解が、育児の失敗を招く
 ・セックスと妊娠・避妊についての無知
 ・育児に対する無知(育てるために必要な知識)
 ・養育することへの責任の自覚の無さ

②母親自身が乳幼児期に母不在だった
 ・自分もそうだったから、当たり前だと思っている
 ・愛情欠損体験をしている
 
③母親自身が、自らの母との「母―娘葛藤」をもったまま
 ・母親としての役割をすることに抵抗がある
 ・そのために、育児を疎ましく感じる=育児拒否

④産後うつの状態にある
 ・赤ちゃんの泣き声などにいらだち、情緒不安定になっている
 ・育児を援助、協力者がいない

⑤未熟児出産・多胎出産
 ・育児を重荷に感じている
 ・育てたい気持ちと、できない環境との板ばさみ

考えられる幾つかを書いてみました。
いかがでしょうか?
太古の昔から、繋いできた命とその営みです。
その最先端に自分がいる、といっても過言ではないでしょう。
そして、次へと繋いでいく。
どの時代も、一所懸命だったことは間違いない。
なのに、育児放棄(ネグレクト)がどうして増えているのでしょうか?

様々な要因があるでしょうが、
少なくとも、母となる女性が妊娠・出産・育児についてもっと考え
必要な「知」をもつことが急務だと痛感しています。

シニフィアン研究所のサブサイト「女たちよ賢明であれ!」http://signifiant-lab.com/woman/
「オールOK子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください。

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【2012/06/20 11:33 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
224)交通事故多発者

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「交通事故多発者」について書きたいと思います。
交通事故は誰しも起こしたくて起こしているわけじゃないですよね。
でも、毎日あちこちで起きています。
日頃の注意や努力、啓発にも関わらず、悲惨な事故は後を絶ちません。
今日は、特に
交通事故を頻繁に起こしてしまう人たちの特性を
「精神分析的」な観点から書こうと思います。

まず、
「事故」=「自己」という図式を考えてみてください。
生活するように運転する」というティルマンの言葉があります。
ティルマンは、その人の生き方の一つの表現に過ぎないと言っています。
では、どのような生き方、特性があるのでしょう?

1)共通しているのは、常に心的緊張が高いということ
例えば、
夫婦喧嘩や虐待などが日常的にある家庭環境の中に居ると、どうでしょうか?
常に緊張していなければなりません。
逆に、あまりにも厳格すぎる場合も同じです。
(「家庭」は緊張を緩和し、くつろぎと安らぎの場所のはずです。)
学校や職場が緊張の連続であった場合も然りでしょう。

2)極度に緊張に耐えられず、即座に緊張緩和をしようとする傾向がある
生きていると、何らかの緊張(不満・怒り・攻撃心など)があるのは否めないことです。
その緊張を、うまくコントロールできていれば、軽減、解消ができます。
ところが、その水路付けがうまくできない人の場合、
すぐに緊張を吐き出そうとする傾向があるようです。
(緊張の解消方法を知らないとも言えます)

3)極度に自己中心的で、他人の権利に無関心
感情爆発傾向が強く、愛情や支持の喪失を恐れる傾向が強いようです。

ひと言でいうと
≪常に緊張の中に居て、緊張をコントロールできずに一気に解消しようとする傾向がある≫
ということになるでしょうか。
また、
注意散漫、感情不安定、責任・権利・規制に対する態度、生活の乱などが
その根底にあると考えられています。

他にも、例えば
カン癖、ケンカ好き、ガキ大将だった幼児期があったり、
夜尿症、暗闇恐怖、水泳時の深みへの恐怖、極端な白昼夢のような
心理的不安症状があるとも言われています。

このように、交通事故多発者にはある共通の特性があるようです。
逆に、交通事故によく巻き込まれる人も同じような傾向があるかもしれません。
「事故」=「自己」と考えた場合
交通事故だけではなく、事故は自己を表現していると言えるのではないでしょうか?

(交通)事故を起こさない、合わないために
精神分析という方法で事故(自己)を紐解いてみませんか?

興味をもたれた方はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/

【2012/06/19 10:39 】 | 事件・事故・ニュース | 有り難いご意見(0)
223) 高橋容疑者「本来の自分が分からない」長すぎた偽名生活

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は、
先日の報道記事
『地下鉄サリン事件の殺人容疑などで15日に逮捕されたオウム真理教元信者高橋克也容疑者(54)』に関する
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
について考えた事を書いてみたいと思います。
それは「名前を換えることの力」です。

『本来の自分』ってどういうことでしょうか?
「本来の自分」に対しては「偽りの自分」ということになるでしょうか。
「偽りの自分」とは、仮面の自分、演じている自分とも言えますよね。
これは、誰もが使っている姿でもあります。
例えば
「内面」と「外面」「家の中での自分」と「家の外(社会)での自分」
社会の中で生きるために、必要な仮面をつけて生きています。
それが適応することの一面でもあるとされています。
その仮面の代表が「名前」ではないでしょうか?
それに、
その時々の役職名(仕事、肩書きなど))や役割名(夫・妻、親・子・孫など)もあります。
それでも、「同じ一人の私」との認識をもっています。

ところが、高橋容疑者は、逃亡するために
自ら意識的に完全に他人になりすまし、別人になろうとしました。
その結果、17年という長い年月が
「本来の自分=高橋克也」と「偽りの自分=他人の名前」が
一体化してしまった、と考えられます。
それが
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
という言葉ではないでしょうか?
(余談ですが、題名は忘れましたが、昔読んだ「仮面が張り付いて取れなくなった」というマンガを思い出しました)
高橋容疑者の場合は、完全に犯罪ですから、
名前を変えることの是非は議論にもなりません。

前置きがかなり長くなりましたが、
高橋容疑者のこれらの言葉から

「名前を換えることの力」を感じたのです。
「今までの自分を換えたい」
「新しい自分の生れ換わりたい」
と思ったなら
名前を換える」ことで、新しい自分の生まれ換わることができるのではないでしょうか?
逆に言うと
「新しい自分に生まれ換わりたい」と思った時
人は少なからず「名前を換えたい」と考えるのではないでしょうか?

生まれ換わりたいと思っておられる方は
精神分析によって無意識のシナリオに気付き、書き換えてみませんか?
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/

【2012/06/18 11:44 】 | 事件・事故・ニュース | 有り難いご意見(0)
222)父の日

研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

明日は「父の日」です。
そこで、「父」とはどのような存在か?
父の役割とは何か?
父とは言葉(言語)としての存在だということを書きたいと思います。

「父の日」を検索してみました。
 
1910年にアメリカ・ワシントン州の『J.B.ドット夫人』が教会の牧師にお願いして、亡き父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことが切っ掛け。 当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったといわれています。
この「父に感謝する日」はアメリカ中に広がり、1916年に全国的に認知されるようになりました。1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッテ ィ」がニューヨークで結成され、1972年にアメリカの国民の休日となりました。
日本では1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代です。
(引用「きのとや」http://www.kinotoya.com/beans/beans_01.html
 
初めて知りました。
なるほど、、、
 
父の存在を強く意識する機会は、母と比べて少ない人が多いのではないでしょうか?
それだけ、身近に感じる機会が少ないのでしょう。
自営業など、比較的共有する時間が多い場合は別として、
やはり身の回りの世話をしてくれる「母」の方が
圧倒的に接触する時間が多いのも、その一因でしょう。
ということは
父を知る機会は非常に少ないというのが、一般的でしょう。
 
ある人が言いました。
「父親の印象と云えば、休みの日にゴロゴロして、テレビを見て居眠りしてる姿しかない」
ある人は
「休みの日は、いつも一緒に遊んでくれたり、どこかへ連れて行ってくれた」
これらは、現実の父を通してのイメージです。
これも父を知る上で、大切なことでしょう。
では、
仕事の関係で、父とのかかわりの時間が少ない人は
「いつも居なかった」以外、
父親のイメージはないのでしょうか?
多分、そんなことはないでしょう。
ここが大切だと言いたいところなのです。
それは
「母が語る父」です。
子どもの年齢が低ければ低いほど、その影響は顕著なようです。
現実の父がどうであるか、よりも
大好きな母がどのように語ったか?
それが、子どもの心に「父のイメージ」を創り上げるようです。
 
いかがでしょうか?
お父さんのイメージを浮かべてみてください。
そのイメージは何が基になっていますか?
 
父の存在、父のイメージは
母や身近な人が父について語った言葉ではありませんか?
時には父自身が語った言葉ではないでしょうか?
父は母とは違うようです。
母は現実に何をしてくれたか?が印象深く
父は何を語ったか?どのように語られたか?が印象深いと言えないでしょうか?
ここから
父とは「語る父」ということがクローズアップされます。
 
現実に何をしたかよりも、何を語ったか?
父は子どもにとって、最初に出会う社会(=法・秩序)の代表だといわれます。
ここからは次回に書いていくことにしましょう。
興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のサブサイト「オールOK子育て法」を参照ください。
参考ブログもどうぞ
【2012/06/16 10:55 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
221)人見知り
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「人見知り」について書きます。
大人になっても「私、人見知りするのよ」との声も耳にします。
この「人見知り」を中心に、その大切さを考えたいと思います。
人生の最初の「人見知り」は生後8ヶ月前後だと言われています。
発達論的には「8ヶ月不安」と呼ばれます。
簡単に説明すると、
「母と母以外の人との区別がついた」ということです。
 
安心できる人(母)と、安心できるかどうか分からない人、
この区別ができるようになったということです。
つまり
この区別ができないと、誰にでも付いて行ってしまう可能性がある、
もっと言うと
安全と危険の違いが分からない
ということになります。
 
ここから「人見知り」することは大切なことだとなります。
 
人見知りすることは、
安全かどうかを察知し、判断しようとしている
ということです。
社会に出て行くということは、 ともすると危険な世界に参入することでもあります。
その中で、自分の力で危険を察知し、
向き合えるか?回避した方が良いのか?
その判断をすることは、大変重要なことです。
その基本が「人見知り」だと言えるのではないでしょうか?
 
逆に考えると
人見知りしない=誰にでもすぐに仲良くなる
(対人関係では必要なことではあります)
同時に、危険を察知できない可能性がある
そのようにも考えられるでしょう。
人見知りすることは、対人関係でマイナスだと考えられるかもしれませんが、
安全かどうかを見極めるということでは、必要なことだと言えるのではないでしょうか?
 
今回は「人見知り」を取り上げました。
詳しくはシニフィアン研究所のサブサイト「子育て法」
http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください。
各種相談・講座http://signifiant-lab.com/#10もしています。
【2012/06/15 11:07 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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