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【2025/09/18 12:00 】 |
220)誰でもよかった <大阪・ミナミ通り魔事件>
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。


「誰でもよかった」との殺人事件が増えています。
記憶に新しい事件は
<大阪・ミナミの路上で通行人の男女が刺殺された通り魔事件>でしょう。
「自殺できなくて、人を殺せば死刑になると思った」
など、理解不能の理由です。
事件を離れて、
今日は、『誰でもよかった』を考えてみたいと思います。

「誰でもよかった」に続く言葉を考えてみます。
*抱き締めて欲しかった
*聞いて欲しかった
*結婚したかった
*一緒に居て欲しかった
*寝て欲しかった
*セックスしたかった
*触れたかったetc

こうして考えてみると
ある共通点が見えてきます。
「~欲しかった」「~したかった」
自分には「ない」、だから「欲しい」
この背後には「寂しい」という想いが感じられます。
誰でもいい、与えて欲しい、満たして欲しい
このような叫びが聞こえてくる気がするのです。

本来なら、ある特定の人に求めるのではないでしょうか?
大好きな人、愛する人が居たなら
そして、その人が与えてくれるのなら
誰よりもその人に
抱き締めて欲しい、聞いて欲しい、一緒に居て欲しいと願うのではないでしょうか?
それが叶わないから
もう誰でもいい
そのように考えるのではないでしょうか?
 
「誰でもいい」ではなく「あなたでないとダメ」と言える人が居たなら
「誰でもいい」ではなく「あなたならOKしてくれる」と思える人が居たなら
きっと、その人に向かって「~欲しい」と言える
例えば
「あなたの側にいたい」
「あなたの手料理が食べたい」
「あなたと結婚したい」
決して
「誰でもいい」なんて言わないのではないでしょうか?
 
「誰でもいい」という言葉は、
誰も受け止めてくれる人が居ないと思っている人が語る言葉ではないでしょうか?
 
「あなたでなければダメ」と言える人が居ますか?
「あなたでなければダメ」と言ってくれる人が居ますか?
もし居ないなら、欲しいと思ったなら
シニフィアン研究所までご相談ください。http://signifiant-lab.com/
勉強会・相談会・講座もしています。http://signifiant-lab.com/#10
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【2012/06/14 10:51 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
219)罪責感 その2
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「罪責感 その2」について書きます。
前回の「罪責感」は解らないとのご意見がありましたので、
今回はその2として書いてみたいと思います。

まず、罪責感とは何でしょうか?
「見る(監視する)自分」と「見られる(監視される)自分」との葛藤から生まれると言われます。
誰にも「良心」があるとされます。
これが「見る自分」=「監視する自分」です。
そして、その「見る自分」に「見られるもう一人の自分」がいますよね。
この二つの自分が葛藤したとき、緊張が生まれ
それが「罪責感」だというのです。

この「罪責感」は元々あったのでしょうか?
ないとされています。
では、いつ生まれるのでしょうか?
「親の禁止」がその最初だとされます。
日々の体験の中で、
親からの「ダメ」を子どもは自分の中に取り入れます。
「禁止」とそれを守ることで「誉められる」
その体験が、より一層子どもの心に「監視する自分」を発達させます。

これらの上に、
「しつけ」や「決まり」「秩序」「法」などが幾重にも重なっていくとされます。
これが、基準となって「良心」「道徳心」あるいは「常識」などを持つことになるのです。
この観点から
周りの大人たちがいかに「しつける」かが大きく影響すると考えられます。
厳しく躾けすぎると「恥」「怯え」を学んで、
人の眼を気にしすぎるかもしれないし
躾がされないと、決まりや法を守らない可能性があります。
このように考えていくと
「罪責感」は人間の心の中の葛藤であり、
自分で自分を律するためにも、社会の中で生きていく上で必要なものだと言えるでしょう。
反面、あまりにも強すぎると
人の行動や性格に厳しく制限を与え、萎縮させてしまう可能性もあるでしょう。

罪意識の重圧に潰されてしまう恐怖から逃れる方法を、持っている必要があるのかもしれません。
時には、体を使って吐き出す必要があるでしょう。
スポーツをしたり、絶叫マシーンに乗って叫んだり、
お神輿を担いで暴れたりするのも、その一つでしょう。
そうすると
ゲームなどバーチャルの世界に没頭するのも
現実世界で吐き出す方法が見出せないからだと考えられないでしょうか?
また、大人になって
お酒やセックスに溺れると、依存症になる可能性がありますから
注意が必要です。
反対に、「罪責感」をうまくコントロールできない場合
前回にも書いたように
他者から「罰」を与えられることによって、自分を律する方法を選択する場合がある
それが、自ら苦難を選択したり
時には犯罪という方法で、法によって自らを処罰する可能性も考えられるのです。

また、難しくなりました。
「罪責感」は必須でありながら、
時には、
人を思ってもいない行動にまで追いやる可能性があることを書きたかったのです。
ご意見・ご感想はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/
【2012/06/13 13:19 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
218)罪責感
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「罪責感」について書きます。
「罪責感」は罪意識を感じて自分を責めること。
精神分析的には、無意識的なことによるとされますが、
ここでは、「罪責感」から自分を処罰するに至ることがある、ということを書きたいと思います。
少し、難しいかもしれませんが、お付き合いください。
 
叱られると分かっていながら、悪いことをする
嫌われると分かっているはずなのに、言ったりしたりする
このような人(子ども)がいます。
まったく学習しないと思うかもしれません。
一方、
自ら苦難の道を選択する人も居るし、
次から次へと難題が湧いてくる人が居ます。
自分でも呆れるくらいだと言います。
どうしてでしょう?
これらのことを、「罪責感」ということから考えてみたいと思います。

自分でも理解できない、何らかの罪意識を持っていると仮定します。
もうそれは意識には上がってこないものとします。
その「罪意識」によって
「自分は罪を償わなくてはならない」と考えます。
自らどのように償えば良いのか解らない。
その結果、自分に苦痛を与えたり、誰かから罰せられることによって償おうとする。
強迫行為や観念、重篤な病気や苦難、犯罪まで犯すに至るとフロイトは考えました。
(フロイトは、精神分析の創始者です)
 
そのように考えたら、少し理解できることはないでしょうか?
意識の中では、だれも苦しいことや辛いことは嫌だと思うでしょう。
なのに、いつも背負い込んでしまう、選んでしまうとしたら
どこかに「罪責感」を持っている可能性があると考えてみてはいかがでしょう?
あるいは何らかの「罪意識」や「負い目」を持っているかもしれません。
自分は悪いことをした、
だから幸せになってはいけない、罰を受けなければいけない。
その無意識的な何らかの「罪責感」が
自らを不幸へと追いやるように、誰かに求めているのかもしれません。
 
いつも、同じパターンで叱られる子どもも
「かまって欲しい」だけではなく
「ボクは悪い子なんだ」と思ってしまっているのかもしれません。
自分や家族にそのように感じられることがあるなら
一度、このような観点から考えてみてはいかがでしょうか?
なるほどと合点がいくことがあるかもしれません。

なお、フロイトが言うように
それらが無意識的なものなら、「精神分析」という方法で明らかにできるでしょう。
なぜなら、精神分析は「無意識」を知る方法だからです。
興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
 
次回は「人見知り」について書く予定です。
【2012/06/12 17:50 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
217)共感

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日は「共感」について書きます。
共感は、子育てにおいてはもちろん、対人関係においても重要な事の一つです。
辞書によると
「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張等を、自分も同じように感じたり理解したりすること。同感」(広辞苑)
と書かれています。
精神分析的には
「情緒的側面を言語化し言い返すこと。感情の反射という。」
つまり、
共感とは相手の感情を言葉で返すこととなります。

例えば
子どもが花を発見したとき、
「わあ、きれいな花」と言ったら「ほんと、きれいな花ねえ」と言う
誰かに意地悪されて泣いていたら
「意地悪されて悲しいのね」と返す
無視されて怒っていたら
「無視されたので、悔しくて怒っているのね」と言葉で反射する
そして、
たいていの場合、それに応じた行動が付いてきます。
きれいな花を見つけたら、匂いを嗅いだり、手で触ったりするでしょう。
泣いていたら、抱きしめるかもしれません。
怒っていたら、同じように拳をふりあげるでしょう。

そのように共感してもらえたら
その人は、自分のことが理解された、解ってもらえた
と感じることでしょう。
逆に、共感してもらえなかった場合
解ってくれない、と感じ、
解ってもらうために、
何度も同じことを言ったり、泣いたり、怒ったりし続けることでしょう。
それが、
「しつこい子ども(人)」「泣き虫」「怒りんぼ」なのかもしれません。

また、「共感」してもらうことは、自分の感情や想いが相手の中に映されたとも言えるでしょう。
つまり、私が相手の心にそのまま映されたということ
言葉を換えていうと
私のありのままの姿が、相手の心の鏡に映っている、その自分の姿を見ているということになります。
このように考えてみると
「共感」してもらうこと=自分の姿を見る=自分を知る
ということになります。

しつこいかもしれませんが、
「共感」することは、鏡のように相手の姿を映すことであり
「共感」してもらうことは、自分を知ることでもある。
このような体験のことだと言えるのではないでしょうか?
子ども(人)は、今の自分を知りたくて、お母さん(人)に語りかけるのかもしれませんね。
そして、
自分が想像している姿を映し返してもらえたら安心し、お母さんから離れていける。
違っていたら不安になり、いつまでもお母さんにしがみついて離れられない。
という姿が見えてきます。

余談ですが、
精神分析は、言葉で等身大の姿を映し返します。
その結果、不安が安心に書き換えられるのです。
精神分析に興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
子育て相談もしています。http://signifiant-lab.com/#10

次回は「罪責感」について書きます。

【2012/06/11 11:53 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
216)愛―エロス的交流

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日のテーマは「愛―エロス的交流」です。
エロス的交流とは、
相手から愛されているという自信、自分が相手を愛することが相手からも喜ばれるという確信をもてる
そのような交流のことです。
精神分析では、このようなエロス的交流のことを「愛」と呼びます。
ちょっと堅苦しい表現ですが、
「相思相愛」というと、イメージし易いでしょうか

相思相愛の恋人同士の場合
赤ちゃんとお母さんの場合など
お互いの間で、どのような交流がなされているのでしょう?

共通するのは
目と目で見つめあい、ニコッと微笑合う
もうそれだけで、心が通じ合っていると思える
私の喜びはあなたの喜びとなり、あなたの喜びは私の喜びとなる。
これを「共鳴」「共感」といいます。
これが、まさしく「愛―エロス的交流」です。
このような関係の二人の間には「愛」があり
お互いの自己愛が高まる関係ともいいます。

私は相手を必要としているし、相手も私を必要としている
私は相手を愛しているし、相手も私を愛してくれている
だから
私は存在する価値がある
私には生きる意味がある
存在していていいんだ、生きていていいんだ、と思える
このように考えていくと
人は「愛―エロス的交流」を通して
自分の生きる意味や存在価値を見出していると言えるのではないでしょうか?

それを確かめるために
時には、心とは裏腹な行動や言葉を言ったりするようです。
こんなことをしても、言っても
相手は自分を見捨てないだろうか?
自分は相手にとって存在価値があるのだろうか?
自分には生きる意味があるのだろうか?
このように問いかけたくなった時、
「不登校」「引きこもり」あるいは「非行」などの問題行動を、一つの手段として使うのではないでしょうか?
彼らは、「愛」を確かめたくなっている
エロス的交流を求めていると言えるのではないでしょうか?
このようなとき、
彼らに向き合い「愛―エロス的交流」をしてみてはいかがでしょう
目を見つめ、腰をすえて、話をじっくり聞く態度を見せる
「どうしたの?」と声をかける
ここから、スタートしてみては?
そうすれば、何かが変化するかもしれません

ブログ197)自己愛(ナルシシズム)ーエロス的交流
シニフィアン研究所HP http://signifiant-lab.com/
子育てサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/も参照ください。

【2012/06/10 12:53 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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