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【2025/09/20 03:08 】 |
依頼は信頼の証
誰かに何かを頼むのは、その人を信頼しているから
内容のいかんに関らず、
依頼する相手の年齢、立場に関わらず

大人の世界では当然のことのようだが
案外、そうでもないように見受けられることがある

例えば
自分ひとりで、何事もやろう(解決しよう)とする人
危ないからと、子どもにさせない親

何事も自分で成し遂げようとすることは素晴らしい事
子どもを危険から守ることは大切な事
しかし
「依頼すること」「助けを求めること」も大切なこと
「依存すること」と「依頼すること」とは似て非なること
「守ること」と「過保護」は違う

一人でやろうとする事も大切なことだが、
誰かと共に担い(分かち)合うことが必要な時もあることを
忘れないでおこう
それは
その相手を「信頼すること」にも繋がるし
相手も「信頼されている」と感じるだろう

大人の世界だけではない
子どもを信頼し、依頼しよう
まだ小さいからではなく
まだ小さいけれど信じようと思うこと
それが、相手を育てることにも繋がる

子どもにもっと依頼しよう
そうすればそのことを通して
子どもは「信頼されていること」を感じるだろう
そして、きっと
今度は自分が誰かを必要としたとき
相手を信じ「依頼する」ことだろう

「依頼する」ことには「信頼」が裏打ちされている
そう思う


シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育て法(精神分析的視点から)はこちらですhttp://signifiant-lab.com/raise/
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【2012/01/25 17:45 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
「死」の意義
必ずやってくる「死」
生きていることは、必ず死にゆくもの
人間に限らず、すべてのものに迫り来るもの

それは、終わりでもある
人間や動物では肉体の消滅
終わりがあるとはどういうことか?
一つの区切りがつくことでもある

区切りがつくことの意義とは?
ある一つのまとまりができること
まとまりができると、それが「1」となる
つまり、一つの閉鎖空間となること
それ自体が、一つの閉じたものとなる

どういうこと?

古いものとの別れができること
つまり、次の新たなスタートができること

喜びにも終わりが来るが
悲しみ、苦しみにも終わりが来るということ
生まれることは、死に行くことでもある
死に行くことは、また、新たな始まりでもある

どんなことも終わりがあるから、始めることができる
「死」があるから「生」もある
「生」があるから「死」もある
つまり
「死ねる」から「生きられる」のだ
「死ぬために生きるのではない」かもしれないけれど
「死」があるから「生」を意識できることは確かだ

堂々と、死ぬまで生きましょう!!

シニフィアン研究所はこちら  
http://signifiant-lab.com/
【2012/01/24 16:45 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
母がエネルゲン
「すべての人は母から生まれる」
この事実は大きい
すべての人が母になるわけではない
それは選択肢の一つ
「母になる」ことを自らの意志で選択するのだ
決して「なってしまった」のではない
意識的にせよ、無意識的にせよである
ある行為の結果であったとしても、そこには選択肢がある
「産む」=「母になる」と決意すること
妊娠してからの胎教が大切であることは、周知のことだろう
この時間をどのように過ごしたかが、後に大きな影響を及ぼすようだ

「すべての子どもは、誰かの世話を受けなければ生きてゆけない」
この事実も大きい

だからこそ
世話した人が、その子どもの基盤を作る
生まれてからの環境は基より
生まれるまでの胎内環境=母の内的外的環境が重要となる

例えると
「母は自分の存在を望んだのか?」
「自分は生まれてきて良かったのか?」

これらは
大きくなって様々な問題に直面したときに
最終的に立ち戻る問いの一つであろう
自分の存在の根底を支えるものは「母」その人
その母の想いがその子どものエネルゲンとなる

それほどに、子どもにとって「母」は偉大な存在なのだ

子どもではなく、自分に置き換えて考えてみよう
「私は、母から必要とされている」と思える場合
「私は、母にとってどうでも良い存在である」と思う場合
あなたはどちらだろうか?
考えたこともないだろうか?

「母」という存在があっての「自分」
そしてそれを認知し、名づける「父」があっての「自分」
母はエネルゲン
それだけは間違いない!

シニフィアン研究所はこちら http://signifiant-lab.com/
精神分析的子育て法『母への叫び』はこちら http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/01/23 23:20 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
目は見ないため、耳は聞かないため、口は語らないためにある
目は何かを見るためにある
耳は何かを聞くためにある
口は何かを食べたり、語るためにある
鼻は匂いを嗅ぐためにあるetc

たいていの人はそう考えている
ところが、それだけではない

実は
目は、何かを見ないために
耳は、何かを聞かないために
口は、何かを語らない(食べない)ためにあるのだ

見たくない、聞きたくないものがあると、
目や耳を塞ぐよりも他の何かを見たり聞いた方が
見たくないものを見なくてもよい
聞きたくないものを聞かなくてよい
例えば
夫婦喧嘩を見たくないから、テレビを見る
嫌いな人の声を聞きたくないから、音楽を聴く
本当の事を言いたくないから、他の事をしゃべっている
この方が都合が良いはずだ

あなたがしていることは
本当にあなたがしたいことだろうか?
他のしたくないことの為にしているのではないだろうか?

目は見ないためにあり
耳は聞かないためにあり
口は語らないためにもあることを知ろう

そして

自分が見たいものを見て
聞きたいものを聞き
語りたい事を語ろう
そうすれば、もっともっと楽しくなる
もっともっと嬉しくなる
もっともっと仕合せだと感じるだろう

お問い合わせは
シニフィアン研究所までどうぞ  http://signifiant-lab.com/
【2012/01/20 20:16 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
表現能力をどうやってつけるか
文部科学省は、こどもの表現力をつけようとするとのこと
ゆとり教育から一転して、学力向上の一環として打ち出したようだ

表現と言っても、その方法は多種多様
基本的には「言語化」言葉で自分の言いたいことを伝えることだと考える
他にも、身体やものを使って表現する方法は、多数ある

言葉を使って意志の伝達をする
ただ言葉を知っているだけではできない
使い方が解らなければできないことは、誰もが知っているだろう
では、どうすれば使い方が解るだろう?

まず、誰かに伝えたいことがあること
次に、それを伝えるための適切な言葉を選ぶこと
そして、相手が理解できるように話すこと

最低、これらができないと難しい
それと、話すこと自体に抵抗がないこと
これも難しいことの一つかもしれない

これらはどのようにして、身に付けるのだろう?
日常会話から始まると言ってよい
つまり、基本は家族との会話から始まる
もっと言えば
生まれてから長い年月をかけて、獲得する
周りから話しかけられて、それに答えようとすること
そして、それを気長に(待ってもらう)聞いてもらい、反復する体験
違っていれば正しい使い方を教えてもらう体験

そこから始まる
言葉で伝えることの楽しさ、嬉しさ、喜びを体験することから
やがて、自発的に言葉を発するようになってゆく
長い、長い様々な体験の積み重ね
これらの上に、表現力は培われてゆくもの

何よりも、ゆっくり気長に聞いてもらう体験が必須
「どうしたの?」
「それで?」
「どういうこと?」
「なるほどね」
などなど

・急かさないこと
・先に言ってしまわないこと
・さえぎらないこと
・言うまで、言い終わるまでじっくり待つこと

じっくり待って、聞いて、理解してもらえた人は
人の言葉をじっくり聞いて理解することができることだろう

表現することに不安がある方は
シニフィアン研究所まで ご相談ください http://signifiant-lab.com/
子育て相談はこちらへhttp://signifiant-lab.com/raise/
【2012/01/18 20:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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