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【2025/09/22 10:58 】 |
恋に落ちる-fall in love
「恋をする」「恋に落ちる」「ビビビッときた」などの表現がある
人を好きになるには人それぞれ固有の要因がある
その一つは「母の代理」
また「一の線」というのもある
 
すべての人は母から生まれる
それゆえに、最初の愛の対象は「母」といって差し支えないだろう
自分の存在の根底だから
その大好きな母のある一つの特徴で「母全体」を表現する
その最初が「移行対象」と呼ばれるもの
例えば
布切れ、タオル、ぬいぐるみなどその幼児にとって母を連想させるもの
それを絶対に離さない
 
それらと同じ意味合いを持ったものが恋人選択にも大いに影響する
それらはたった一つの特徴で良い
「声」
「目つき」
「しぐさ」
「好みの色」
「匂い」
「歩き方」
「表情」
「雰囲気」などなど
 
ただ本人にはそれとは気付いていないことが多い
たいていは
「何だかあの○○がたまらなく好きなんだよなあ~」
「一緒にいるとホッとするんだよねえ~」
あるいは「癒される」と思うかもしれない
 
その一つの特徴を発見したら一気に引き寄せられる
恋人やアーティスト、友達なども同じ傾向があるだろう
 
きっと誰かから言われたことがあるだろう
「あなたが好きになる人はいつも同じね」と
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
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【2011/08/08 08:31 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
恋愛の相手は母の代理
養育において、人は誰しも満足を与えられた体験は皆無に等しいだろう
ここでいう「満足」とは
要求を出したときに、敏速に的確に行動で答えてもらった体験のことである
そんなはずはないと思い込んでいる人はいるかもしれないが
 
つまり、殆どすべての人は不満がいっぱいだと言える
その不満を何とか満足に変えたい
不足しているとするなら、何とか埋めたいと切望するだろう
 
思春期になると身体的にも成熟してくる
友達関係を経て、異性に関心を持ち付き合いたいとの欲求が出てくる
ここで展開されるのは男女ともお互いの中にある「穴」を埋めあうこと
単なる欲求のはけ口だとか
ただ彼氏、彼女という関係に憧れるというのもあるだろうが
ここではそれらは別にする
 
付き合うという名の元に
求めて得られなかったものを埋め合う場合が多い
身体的な快も伴いながら楽しむものともなる
互いの間に展開されるのは、求めて得られなかった母の代理満足である
例えば母に
言う事を聞いてもらえなかった人は、恋人に何でも言う事を聞いてくれることを求めるだろう
罵声と虐待を浴びせられた人は、優しさを求めるだろう
振り回せなかった人は、あちこち連れて行ってくれる人を求めるだろう
抱っこしてもらえなかった人は、肌の温もりを求めるだろう
これらを満たしてくれる人が「大好きな恋人」「いつも一緒にいたい恋人」となる
そこだけを見ている
その他は見ないようにしている
求めることを与えてくれなくなった時、恋は醒める
時には、「愛と感じていたもの」は「憎しみ」へと変貌する
 
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
【2011/08/07 07:35 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
欠如は欲望を生み出す
人は欠如を自覚するからこそ、その欠如を埋めたいと思う。
欠如を欠如と認識しなかったならば、埋めたいとは思わないだろう。
当たり前だと思うが、案外そうではないように感じる。
 
欠如だと自覚するには、まず欠如していない状態(満たされた状態)を知っていることが前提となる。
例えば、
お腹が空いたときにたっぷり食べるからこそ、お腹が一杯になり、空腹感が満たされたと感じる。
満腹感を味わったからこそ、次の空腹の時も食べたいと思うのである。
お腹が空いたのに、食べるものがなかったり、食べてはいけないと禁止されていたとしたら
やがては空腹感も感じなくなってしまうだろう。
一度くらいでは空腹感は麻痺しないだろうが、それが普通のことになっていたらどうだろうか?
自らの空腹感が自覚できなくなり、お腹が空いているのかどうかさえ分からなくなる。
そうすると、お腹が空いたという欠如を感じなくなる。
つまり、食べたいという欲望を持たないことになる。
 
このように、食だけでなく、愛情など無形のものも含めて、
欲しいときに欲しいものを手に入れて満足した経験があるからこそ
それがなくなったとき、あるいはないとき、それが欠如していると自覚し
それを満たしたいと欲望する。
 
つまり、欠如を欠如と自覚しない限り欲望は湧いてこない。
逆に言えば、欲望がない人は、欠如を自覚していないと言える。
いつでも、なんでも身の回りにある場合、人は何も欲望しないだろう。
満たされていないと感じるからこそ、欲しいと思い、それを手にするための方法を考え、行動する。
ゆえに、欲望がない人は欠如を作ればよいとも言えるだろう。
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
【2011/08/06 07:33 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
憎しみは愛を棲み家としている
相手に腹を立てる
相手を憎む、恨む
相手を完膚なきまでにやっつけてやりたい
そんな気持ちになることは誰でもあることだろう
これらは「攻撃心」と呼ばれ、その感情を「憎しみ」と呼ぶ
しかし、それは良くないことだとされる
できるだけ腹を立てず、良い人になることを求められる
対人関係をスムーズにするために
それが大人である
それが弁えた人だと言われる
 
どうしてこのような攻撃心や憎しみが湧き上がってくるのだろう?
本当に我慢しなければいけないことなのだろうか?
 
それは「愛」の裏返し
「愛」と「憎しみ」は表裏一体
愛すればこそ憎しみも倍増する
愛と憎しみはナルシシズムの構造の中から生まれる
 
自分の理想像を相手の中に見た時、それは「愛」の対象となる
自分のなりたい姿を見出した時、それは自分そのものとなる
これを同一視、同一化と言う
対象が子どもであれば、自分の夢を子どもに託すだろう
同性であれば、憧れの人となり真似をするだろう
異性であれば恋愛の対象となり、一気に惚れ込むだろう
アイドルであればファンとなり追っかけをするだろう
これらは、鏡に映った自分の分身である
 
ところが
何らかの理由で、自分の理想を担う対象でなくなった時
自分の思うようにならなかった場合
一転して「憎しみ」の対象となる
「こんなにもアナタの為にしているのに!」
「こんなにも自分を犠牲にして、アナタに尽しているのに!」
「こんなにもアナタを愛しているのに!!」
「どうして分かってくれないの!」
「分かってくれないのなら、いっそこの手で殺してしまいたい」
 
愛が深ければ深いほど、憎しみはより一層深くなる
つまり、憎しみの対象は愛の対象でもある
このように憎しみは愛を棲み家としている
愛の無いところに憎しみは無い
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
【2011/08/05 07:48 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
人見知りをする
生後8ヶ月前後になると、
ママ以外の人が近づいてきたり、抱っこしようとするとすぐに泣き出す
いわゆる「人見知り」をするようになる
 
この「人見知り」は赤ちゃんの発達上、とっても大切な意味を持つと言われている
というのは、ママとママ以外の識別ができるようになった証となるからである
その最初に洗礼を受けるのが、たいていはパパ
ある日を境にパパが帰宅して
「ただいま^^」と言いながら近づくと、急に泣き出す
「おいおい お前のパパだよ・・・」
と言うことになる
 
これは、赤ちゃんが自分の世話をしてくれる安心できるただ一人の人とは違う
と認識したということを意味する
 
つまり、ママが赤ちゃんの安全安心基地となったということ
いわゆる「基本的信頼感」の基盤が出来始めたと言える
安全安心基地があるから、外に出て行けるのである
何かあったときはここに戻ってくればいいんだと思える場所ができてきたということ
これが後に社会へ参入することをより容易にするといわれている
 
では「人見知り」をしないということはどういうことか?
一つには常に側にいて世話をしてくれる唯一人の人がいない
複数の人が世話をする、不特定の人が世話をする
側にいる人が適切な世話をしてくれない
放ったらかしで気まぐれな世話だけしかしない
これらの環境の中に居る可能性が考えられる
 
安心基地がないと、常に不安な気持ちになり
ちょっとしたことで見捨てられるのではないか?といった不安感が突き上げてくる
常に落ち着かない気分になる
怖がりになったり、神経質傾向になったり、すぐに何かにしがみつきたがる
などなどの傾向が強くなるようである
 
こういった意味において、生後8ヶ月前後の乳幼児にとって
「人見知り」をするかしないかは非常に重要だと言われるのである
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
【2011/08/03 06:58 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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