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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日は「子どもの可愛さ」について書きたいと思います。
あるお母さんが言いました。
このような声をたくさん聞きます。
「子どもって本当に可愛い」と思いますか?
シニフィアン研究所では要望に応じ「子育て教室」などを開催しています。 PR |
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日は「育児放棄(ネグレクト)」について書きたいと思います。
「母から隔離は脳に影響、横浜市大がラット実験 育児放棄解明へ/神奈川」
②母親自身が乳幼児期に母不在だった |
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。
今日は「人見知り」について書きます。
大人になっても「私、人見知りするのよ」との声も耳にします。
この「人見知り」を中心に、その大切さを考えたいと思います。
人生の最初の「人見知り」は生後8ヶ月前後だと言われています。
発達論的には「8ヶ月不安」と呼ばれます。
簡単に説明すると、
「母と母以外の人との区別がついた」ということです。
安心できる人(母)と、安心できるかどうか分からない人、
この区別ができるようになったということです。 つまり
この区別ができないと、誰にでも付いて行ってしまう可能性がある、
もっと言うと
安全と危険の違いが分からない
ということになります。
ここから「人見知り」することは大切なことだとなります。
人見知りすることは、
安全かどうかを察知し、判断しようとしている
ということです。
社会に出て行くということは、 ともすると危険な世界に参入することでもあります。
その中で、自分の力で危険を察知し、
向き合えるか?回避した方が良いのか?
その判断をすることは、大変重要なことです。
その基本が「人見知り」だと言えるのではないでしょうか?
逆に考えると
人見知りしない=誰にでもすぐに仲良くなる
(対人関係では必要なことではあります)
同時に、危険を察知できない可能性がある
そのようにも考えられるでしょう。
人見知りすることは、対人関係でマイナスだと考えられるかもしれませんが、
安全かどうかを見極めるということでは、必要なことだと言えるのではないでしょうか?
今回は「人見知り」を取り上げました。
詳しくはシニフィアン研究所のサブサイト「子育て法」
http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください。
各種相談・講座http://signifiant-lab.com/#10もしています。
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。 「誰でもよかった」との殺人事件が増えています。 記憶に新しい事件は <大阪・ミナミの路上で通行人の男女が刺殺された通り魔事件>でしょう。 「自殺できなくて、人を殺せば死刑になると思った」 など、理解不能の理由です。 事件を離れて、 今日は、『誰でもよかった』を考えてみたいと思います。 「誰でもよかった」に続く言葉を考えてみます。 *抱き締めて欲しかった
*聞いて欲しかった
*結婚したかった
*一緒に居て欲しかった *寝て欲しかった *セックスしたかった *触れたかったetc こうして考えてみると ある共通点が見えてきます。 「~欲しかった」「~したかった」 自分には「ない」、だから「欲しい」 この背後には「寂しい」という想いが感じられます。 誰でもいい、与えて欲しい、満たして欲しい このような叫びが聞こえてくる気がするのです。 本来なら、ある特定の人に求めるのではないでしょうか? 大好きな人、愛する人が居たなら そして、その人が与えてくれるのなら 誰よりもその人に 抱き締めて欲しい、聞いて欲しい、一緒に居て欲しいと願うのではないでしょうか? それが叶わないから もう誰でもいい そのように考えるのではないでしょうか?
「誰でもいい」ではなく「あなたでないとダメ」と言える人が居たなら
「誰でもいい」ではなく「あなたならOKしてくれる」と思える人が居たなら きっと、その人に向かって「~欲しい」と言える 例えば 「あなたの側にいたい」
「あなたの手料理が食べたい」
「あなたと結婚したい」
決して 「誰でもいい」なんて言わないのではないでしょうか?
「誰でもいい」という言葉は、
誰も受け止めてくれる人が居ないと思っている人が語る言葉ではないでしょうか?
「あなたでなければダメ」と言える人が居ますか?
「あなたでなければダメ」と言ってくれる人が居ますか?
もし居ないなら、欲しいと思ったなら
シニフィアン研究所までご相談ください。http://signifiant-lab.com/ 勉強会・相談会・講座もしています。http://signifiant-lab.com/#10 |
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。
今日は「罪責感 その2」について書きます。
前回の「罪責感」は解らないとのご意見がありましたので、 今回はその2として書いてみたいと思います。 まず、罪責感とは何でしょうか? 「見る(監視する)自分」と「見られる(監視される)自分」との葛藤から生まれると言われます。 誰にも「良心」があるとされます。 これが「見る自分」=「監視する自分」です。 そして、その「見る自分」に「見られるもう一人の自分」がいますよね。 この二つの自分が葛藤したとき、緊張が生まれ それが「罪責感」だというのです。 この「罪責感」は元々あったのでしょうか? ないとされています。
では、いつ生まれるのでしょうか?
「親の禁止」がその最初だとされます。 日々の体験の中で、 親からの「ダメ」を子どもは自分の中に取り入れます。 「禁止」とそれを守ることで「誉められる」 その体験が、より一層子どもの心に「監視する自分」を発達させます。 これらの上に、 「しつけ」や「決まり」「秩序」「法」などが幾重にも重なっていくとされます。 これが、基準となって「良心」「道徳心」あるいは「常識」などを持つことになるのです。
この観点から
周りの大人たちがいかに「しつける」かが大きく影響すると考えられます。 厳しく躾けすぎると「恥」「怯え」を学んで、 人の眼を気にしすぎるかもしれないし
躾がされないと、決まりや法を守らない可能性があります。
このように考えていくと
「罪責感」は人間の心の中の葛藤であり、
自分で自分を律するためにも、社会の中で生きていく上で必要なものだと言えるでしょう。
反面、あまりにも強すぎると 人の行動や性格に厳しく制限を与え、萎縮させてしまう可能性もあるでしょう。 罪意識の重圧に潰されてしまう恐怖から逃れる方法を、持っている必要があるのかもしれません。
時には、体を使って吐き出す必要があるでしょう。
スポーツをしたり、絶叫マシーンに乗って叫んだり、 お神輿を担いで暴れたりするのも、その一つでしょう。 そうすると
ゲームなどバーチャルの世界に没頭するのも
現実世界で吐き出す方法が見出せないからだと考えられないでしょうか?
また、大人になって
お酒やセックスに溺れると、依存症になる可能性がありますから
注意が必要です。
反対に、「罪責感」をうまくコントロールできない場合
前回にも書いたように 他者から「罰」を与えられることによって、自分を律する方法を選択する場合がある それが、自ら苦難を選択したり 時には犯罪という方法で、法によって自らを処罰する可能性も考えられるのです。 また、難しくなりました。 「罪責感」は必須でありながら、
時には、
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