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悩み苦しみの根源には「不安」が渦巻いている
それはどのような不安だろうか? すぐに解決できないから? 困った事柄だから? 誰にも相談できないから? 助けてもらえないから? どうにもできないことだから? それも一因でしょう しかし、実は 「不安の原因が何であるかはっきりしないこと」 「その不安の解消の道筋が見えないこと」 ではないだろうか? 例えば 近くで突然「ガサガサ ゴソゴソ」と妙な音がする 誰もが一瞬「ギョッ」とするだろう 「何だ?!暴漢か?獰猛な何かか?」etc 緊張のあまり、体は戦闘態勢になることだろう しかし、その原因が「猫」だったら? 「なーんだ、猫か!脅かせやがって!」 と、ホッとするだろう つまり 「ガサガサ ゴソゴソ」の原因が「猫」であり それは自分に危害を加えない動物であり 万が一、飛び掛ってきたとしても とりあえず、何とかなるだろう と、原因と対処の道筋が見える だから「不安」は「安心」へと変わる このように すぐに解決できなかったとしても 助けてもらえなかったとしても 相談できない状況だったとしても 原因が解り、それを解決するための道筋が見えたなら きっと、不安は軽減する あとは その道筋に従って、努力するだけだから 言葉を変えて言うなら 「不安」を言語で名づけられたら とりあえず「安心」に変わる 不安があるなら まず「名づけ」ましょう その方法の一つが 【精神分析】です シニフィアン研究所<むかい あい> までお問い合わせください http://signifiant-lab.com/ PR |
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あなたが原因で不都合が起こったとき あなたはどうするだろうか? 「それは私が悪いんだ」 「私は何て事をしたんだろう、私の責任だ」 「ごめんなさい、私が悪いんです」etc たいていは謝るだろう 素直に「自分が原因であることを認めること」と 「自分で自分を責めること」とは違う 自分で自分を責めるのは どこかに自己防衛が潜んではいないだろうか? 悪いのは自分だ と、自分で自分を責めるのは 相手から責められて、傷つくのを避けるためではないだろか? 相手から指摘される前に 自ら「私が悪いんです」と自分を責める事で 相手が「いや そんなことないよ、あなたが悪いんじゃないよ」 と、言ってもらうためではないのだろうか? 相手から責められて傷つくくらいなら 先に、自分が自分を傷つける方が傷は浅い そんな自己防衛の気持ちが潜んでいる場合がある 何か失敗や、問題が起こったら まず先に謝る、自分が悪いと言う場合には この自己防衛の気持ちが働いている可能性が高い 意識的にする場合と、無意識的にしてしまう場合がある そちらにしても 現実を直視し、吟味することが必要 その結果、原因が自分にあるならば 素直にその非を認めよう そうすれば 速やかに問題解決するだろうし 同じ失敗は繰り返す可能性は低くなるだろう あなたは直ぐに謝っていませんか? 自分の責任だと自責の念に捕らわれていませんか? シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/ |
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思春期の少年少女たちが暴れる
物を壊したり 暴言を吐いたり 時には人に暴力を加えたりする いけない事だとは多分知っているはず なのになぜ? 思春期は体の成長と、 精神的な成長のバランスが巧くコントロールできにくい時期 進路や将来への夢や 自分への問いかけを求められる時期でもある 肉体的にも大人へと激的な変貌を遂げる そんな性衝動をも適切に処理することを求められる 疾風怒濤の時期だと言われる 暴れるのは、思春期の人達だけではない 3歳児だってそうだし それ以外の年齢の人にもある なぜ? 一つには うまく言葉に表せない この気持ちをどのように表現したら良いのかワカラナイ 突き上げてくる感情や衝動 それらに言葉が追いつかない場合 行動で表現してしまうことになる また一つには 言葉で表現しているのに 相手がそれを理解してくれない 相手が理解しようとしてくれない 自分の意見を押し付けようとして、聞いてくれない 聞くふりをするだけ 何度も何度も言葉で伝えようとするのだけれど 届かない それで、イライラして ついには暴力という手段に訴えてしまう それらが習慣化してしまって=諦めてしまって 暴力という手段に固定化してしまう 他にも 暴力行為には 「目立ちたい」という気持ちも潜んでいる場合がある いずれにしても その暴力には彼らなりの意味付けがある つまり 言いたいこと、伝えたい事がある 一つのメッセージだと言えよう そのメッセージをしっかり聴くこと その暴力で何を言おうとしているのか? それを聴く方法がある それを知れば、きっと聴こえてくるだろう そのメッセージが! |
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以前TVで「扇風機おばさん」と呼ばれている
韓国の女性の紹介を見た 詳細は省略して 彼女曰く 「整形依存症」になった結果 「扇風機おばさん」と呼ばれることになった 【キレイになりたい】 ただその一念で ひたすら「シリコン」を打ち続け 果ては「サラダ油」まで全身に注射した それほどまでして 【キレイになりたい】と考え、実行したという 彼女の『欲望』とは一体なんだろうか? 整形依存、変身願望、 歌手になりたいとも語っていた 芸能界で生きる人の中には スポットライトを浴びたい欲望 眼差しを一身に浴びたい欲望 それは 【注目されること】 「扇風機おばさん」も同じではないだろうか? 【キレイになりたい欲望】 は達成されなかったかもしれないけれど 【注目される】 という意味では、彼女はすでに手に入れている つまり 彼女の無意識の欲望は 【注目されること】 だとしたら 人は、自らの身体を傷つけてまでも 自分の欲望は必ず達成するものだと言える (彼女は数え切れないくらいの手術をしている) そして 彼女はまた日本のメディアに登場して 【注目される】欲望を実現したのである ご意見・ご質問は シニフィアン研究所<むかい あい>まで http://signifiant-lab.com/ |
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『ご飯だったら食べないけど、おにぎりだったら食べる』
ある子どもが言った この子どもは何を語っているのだろうか? 何を伝えようとしているのか? 語った子どももワカラナイ 「ご飯」と「おにぎり」 同じお米を炊いたものだ 何が違う? 「ご飯」は炊飯器が炊いたもの 「おにぎり」はそのご飯を母が握ったもの 母の手が加わっている お母さんが手をかけたものだから 子どもは「おにぎり」なら食べると語ったのだ つまり 『お母さんの手をかけて欲しい』 ということを語っている 「おにぎり」の向こうに大好きなお母さんを求めている お母さんの姿を見ている お母さんの愛を求めているのだ だから 「ご飯」なら食べないけど 「おにぎり」なら食べると言うのだ お母さんを求めている お母さんの愛を求めている だって 世界中で一番大好きなんだもの!! 美味しいとか綺麗な形だとか、そんなことはどうでもいい 自分のために お母さんが握ってくれる「おにぎり」が欲しいのだ そんな叫び声が聴こえてくる もっと耳を傾けよう もっと眼差しを向けよう もっと手をかけよう 手作りパワーだ 『オカアサン』 何て素敵な響きなのでしょう!! 子育て相談をしています シニフィアン研究所 「むかい あい」までどうぞ http://signifiant-lab.com/ |
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