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【2025/07/02 03:59 】 |
成長=否定と是認と再生
『あなたにはあるんですか?ないでしょう!』
『・・・・・』
認めたくはないけど、認めざるを得ない
『・・・ないです。。。』

くやしい!悔しい!
何度考えても、何度見ても
どんなに否認しようとしても『ない』
それは歴然としていた

認めるしかないこと
だけど認めたくない

どうして自分には無いのか?
どうして付けててくれなかったのか?
どうして?どうして?
「付ける」「付けない」を決定する誰かがいるのではないか?
エディプス期(3歳から5歳位)の女児の問いかけ
必然性への問いかけである

『あなたにはないでしょう』
と言語で否定されること
この時、その人の主体は抹殺されたと言う
そして
新たに、よみがえられるか?
生まれ変われるか?=語れるか?
それが大切なこと
ここで生まれ変われなければ、その人の主体は抹殺されたまま
『悔しい!』と思えるかどうか?
無いことを認められるかどうか?

認められたなら
新たに再生する(語る)ことができるだろうし
その人は、次への一歩が踏み出せる
躊躇があったなら
そこには否定と是認が不十分だと考えられる
しっかり抹殺するからこそ、是認できる
悔しさは一歩を踏み出すためのエネルゲンとなる

抹殺=否定=死
そして
よみがえる=是認=再生
この繰り返し
それが【成長】

シニフィアン研究所のHP(埼玉県上尾市)を参照ください
http://signifiant-lab.com/raise/
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【2012/05/19 22:34 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
182)自己規定への急き立て
人は常に「自己規定せよ!」と急き立てられている
自己規定」というと、凄く大変なように感じるかもしれないが
例えば「選択する」という言葉に置き換えて考えてみると
なるほど!と思うのではないだろうか?

朝起きることから始まって
学校や会社に行く
塾や習い事に行く
すぐに家に帰る、寄り道する
テレビやゲームをする
お風呂に入る
寝るetc
挙げればキリがない

それほど、私たちは瞬時に選択を迫られている
選択するとは決めるということでもある
それほど、「自己規定せよ!」
と迫られていることになる
「好きor嫌い」「したいorしたくない」に関わらず
「選択」しないことには動けないし、先に進まない
だから
時には積極的に「するorしない」と決め
時には消極的に仕方なく「するorしない」と決めている

それだけではない
必ず「タイムリミット」がある
その他大勢(社会)の決めた「タイムリミット」である
人は皆「タイムリミット」にも急き立てられている

「選択」「タイムリミット
この二つの急き立てに追い立てられて
積極的、消極的に限らず、
自分で、選択させられ、決定させられ、規定させられている
これも「自己規定」だ
些細な事柄から重大な事柄まで
ありとあらゆる事柄に対して
自己規定せよ!」と急き立てられている
自分のペースで決めたいのに
社会のペースで決めるように急き立てられている

ソレに対して「NO!」
と叫んでいるのが
「不登校」
「引きこもり」
「うつ」
「ニート」
などの人達であろう

自分のペースで、自分が納得して「自己規定」したい
なのにいつの間にか
自分以外の誰かのペースと意思で決められている
自己規定したと思い込まされている
このことに気付き
それは嫌だ!
そのように叫んでいる人達だと言える

しかし、だれもその声を聴こうとしない
なぜだろう?
それは
自分も同じ想いを持っていることに気付くのを怖れているからだ
だから
問いかけられる前に、誰よりも早く「自己規定」して駆け抜けようとする
「私はこれで良いんだ。あいつとは違うんだ!」
そう叫んで駆け出す

人は皆
このような「急き立て」と「自己規定」を迫られる中に生きている

「NO!」と叫んでいる人、叫びたいと思っている人たちの声を聴くのが
精神分析であり、インテグレーターなのです
シニフィアン研究所のHPを参照ください。
【2012/05/15 20:21 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
202)19年清掃続けコロンビア大学を卒業

アメリカの名門大学、コロンビア大学で、19年間構内の清掃員をしながら授業料の免除制度を利用して勉強を続けた男性(ガッツ・フィリーパイさん52歳)が、13日、学士号を取得して卒業し、全米で話題となっています。
旧ユーゴスラビアで生まれ、32歳のとき、戦渦を逃れてアメリカに渡りました。
当時、英語が全く話せなかったフィリーパイさんは、コロンビア大学で清掃員の仕事を得たあと、授業料免除制度を利用して英語を勉強し、午前中は授業に出席、午後は11時まで掃除やゴミ捨ての仕事という生活を19年間続けた結果、このたび古典学の学士号を取得し、13日、卒業しました。
自給22ドルの中から故郷の家族にも仕送りもしているとか。
インタビューの中で「当たり前の事を当たり前にしただけです」と語り、                                           モットーは【幸せはポケットの中ではなく、心の中に】。次は修士号を狙いたいとして、このまま清掃員として大学に残り、勉強を続けるということです。 

NHKでこのようなニュースが紹介されていました。
みなさんはどのように感じますか?
素晴らしい!の一言ですよね。
名前を聞いた時
「ガッツ」さんの名前そのものだと思ったのは、きっと私だけではないでしょうね!


日本に居ると、「内戦」や「紛争」などと聞いても、身近な事だとなかなか思えないのではないでしょうか?
大変な状況であるからこそ、なお一層その意欲が湧いてきたのかもしれないとも思いました。
そして、あの有名なスティーブ・ジョブズの名言を思い出しました。
『Stay Hungry.Stay foolish.(ハングリーであれ、愚か者であれ)』
ハングリーだからこそ、それをエネルゲンとして突き進む。
例えば「なにくそ、負けてたまるか!」
そのようにしてハングリー精神が推進力となって、前進するパワーを生み出すのでしょう。

満たされている時は、欲望も湧きにくいと言えるでしょう。
自分には「不足している」「ない」と思うからこそ、「欲しい」と思う。
これを「欲望」と呼ぶ。
つまり、「ハングリー」の度合いが大きければ大きいほど
その求める欲望は大きくなる。
もし、欲望が持てないなら
もし、欲望が湧かないのなら
自分の中にきっとあるであろう「ハングリー」を探し出せば良いのではないでしょうか?
誰しも、すべてに満足している人はいないでしょうから。

日々の面談の中で、
したいことが見つからない
何をしたいのか分からない
と語るクライアントと共に「ハングリー」な部分を探しています。

シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのサイトもあります
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
トラウマのサイトはこちらです
http://signifiant-lab.com/trauma/

【2012/05/14 21:25 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
180)難行苦行が私の生きる道
「人には真似のできないことをすること」
これが自分固有の道だと勘違いしてきた
難行苦行では誰にも負けない】
そのように語った人がいた
その人がある日
【自分の苦労など大したことはないと思った】と語った
何があったのだろう?

艱難辛苦を望んだのではないけど
その環境しかなかったから
その道を歩いてきた
そのことがいつしか心の中に
難行苦行が私の生きる道】
という生き様(=言語)を創り上げていたのだった

精神分析と言う語らいの場
自分の無意識の語らいに気付いたとき
難行苦行の道を、自ら好んで選択してきたことの意味を知った
その時から、その人は自分の生きる道を書き換えた
『難行苦行の道』から『喜びの道』へと
楽しいと思えること、喜びを感じることを選択する
このように書き換えたのだ

それからその人は変わった
楽しいと思えることだけをする
そしたら、
毎日が楽しくなり、
どんな苦難や障害に出合っても、突破できると思えるようになり
事実、乗り越えられるようになった
その先に「喜び」を見出せ、手にすることができた
半世紀を難行苦行の道で生きてきた
気付き、喜びの道と書き換えるのは瞬時
その時から、その人の人生は大きく進路変更した

まず知ることからスタート
そして、必要なら書き換えること
ただそれだけ
それがすべて

シニフィアン研究所のHPはこちらです
http://signifiant-lab.com/
【2012/05/12 14:20 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
「死」の意義
必ずやってくる「死」
生きていることは、必ず死にゆくもの
人間に限らず、すべてのものに迫り来るもの

それは、終わりでもある
人間や動物では肉体の消滅
終わりがあるとはどういうことか?
一つの区切りがつくことでもある

区切りがつくことの意義とは?
ある一つのまとまりができること
まとまりができると、それが「1」となる
つまり、一つの閉鎖空間となること
それ自体が、一つの閉じたものとなる

どういうこと?

古いものとの別れができること
つまり、次の新たなスタートができること

喜びにも終わりが来るが
悲しみ、苦しみにも終わりが来るということ
生まれることは、死に行くことでもある
死に行くことは、また、新たな始まりでもある

どんなことも終わりがあるから、始めることができる
「死」があるから「生」もある
「生」があるから「死」もある
つまり
「死ねる」から「生きられる」のだ
「死ぬために生きるのではない」かもしれないけれど
「死」があるから「生」を意識できることは確かだ

堂々と、死ぬまで生きましょう!!

シニフィアン研究所はこちら  
http://signifiant-lab.com/
【2012/01/24 16:45 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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