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【2025/07/05 15:09 】 |
PTSDからの脱出―もう過去は振り返らない
自分なりに一所懸命生きてきたのに
誰も理解してくれない、解ろうとしてくれない
私の苦しみを解って欲しい
こんなに辛い想いをしてきたのだから
こんなに悲しみを背負って生きてきたのだから
こんなに頑張ってきたのだから
そして、今もこんなにも耐えているのだから
たった一人でもいい
こんな私の前に立ち止まって、聴いて!!
そう必死に訴え、叫び、もがいている
 
どこまでもいつまでも永遠に語り続ける
長い個人史を、まるでドラマを見るように語り続ける
決して終わりのない語らいの渦の中に生きている
 
すべては語り尽くせない
すべてを理解してもらえない
だれも立ち止まってはくれない
過去をどれだけ語っても書き換えられない
今までの人生すべてが、空しく、空虚で、虚無で、馬鹿らしく、アホらしく
泣いて、泣いて、慟哭し、
やがて涙も涸れ果て、声も嗄れ果てた
 
もう終わりにしよう
過去は過去
私は今を生きているのだから
いつも、いつの時も、今にしか居ないのだから
今は過去となり
未来はいつか今となる
私が居るのは、いつも「今」その時だけ
 
過去の中で出会うのは変えられない悲しみ、苦しみ、辛さ、恐怖とおびえ、寂しさだけしかない
たとえ、わずかばかりの「喜び」があったとしても
それはもう過去、そこには二度と戻れない
一条の「喜び」にしがみついていても
時に一掃され、過ぎ行くのみ
 
もう過去は振り返らない
もう二度と過去は語らない
過去は今を裏打ちしながら、未来へとバックアップしている
前だけを見据えて、今を生きる
そう「決意した」
 
安心・安全→想起・服喪追悼→再結合→共世界
PTSDからの脱出と人間性の回復
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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【2011/11/02 11:13 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
精神の空洞化
社会適応することで人は人として互いの間にお互いを認め合う
社会はより期待した理想像に同一化することを求めて止まない
その為に規則や罰則を作り、それを守ることを要求する
その枠に適応するように幼少期から躾けられる
 
ややもすると強迫的な(脅迫的な)枠組みの中で育てられる
その典型が
「~しなければならない」
「~すべきだ」
 
これを遵守することを過剰に押しつけられた場合
強迫性格となりやすい
この強迫性格が真綿で自らの首を締め付けることになる
常に周りが何を期待しているか?
自分は何をすべきか?
どうしなければならないか?
この期待される像を自分の生き方だと錯覚する
 
いつの間にか
自分は一体何をしたいのか?
これで良かったのか?
自分のしたいことは何か?
解らなくなってしまう
それでも
自らにこれでいいはずだと言い聞かせつつ
精神はどんどん疲弊し、枯渇してゆ
そしていつしか不毛地帯と成り果ててしまう
これこそ「精神の空洞化」である
 
強固な価値観がある場合は(その価値観の是非は別にして)
それでも何とか破綻せずにいけるが
価値観が多様化している現在では容易に崩壊する可能性が高い
押し寄せる多様化の波に流されず
自らの基盤を構築し続けることは非常に難しい
 
呑み込まれるか、流されるしかないのか?
波に乗りつつも、決して流されず呑み込まれずに生きるにはどうすれば良いのか?
それは自らの欲望を知り、その欲望に素直に生きる覚悟を持つこと
自己分析をすることでその道を拓くことができる
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/01 14:58 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
不毛地帯
不毛―土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。
        なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま
 
不毛地帯に生きているとは?
何の生産性もなく、何の進歩もなく、何の成果もない
そんな精神世界に生きている
そんな自分を防衛するための強迫性格
「~ねばならない」
「~すべき」
それを守ることが素晴らしい生き方だと、仕合せになる秘訣だと刻印されていた
 
社会が描く虚像に同一化し
盆踊りのように同心円を描きながら行きつ戻りつ汗を流す
時にはゆっくり
時には早足で歩き
時には全速力で走る
誰よりも早く、誰よりも高く、そして誰よりも遠くへ
そして誰よりも一所懸命生きていると実感していた
 
しかし、それは錯覚、幻想の世界
始まりも終わりももはや識別できない円周を回っていただけ
同じ軌道をただただ回っているだけ
決してその軌道から外れることはない強迫性格
速度の差があるのみ
そして、その軌道の内側は
「不毛地帯」
そう、何の生産性も、進歩も、成果もない荒涼たる殺伐とした地帯
 
どれほどの時間を費やしてきただろう
どれだけのエネルギーを浪費してきただろう
どれだけの血と汗と涙を流してきただろう
一所懸命生きてきたつもりだったのに
ただ同じ軌道を必死に回っていただけ
 
空しい、、、虚しい、、、貧しい、、、空虚で貧弱な貧相な場
 
打ちのめされ、崩れ落ち、茫然自失
思考停止、時空の停止と崩壊、消失
殺風景な場に立ち尽くすのみ
 
立ち直れるだろうか?
歩み始められるだろうか?
 
共に歩み始めましょう!
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
 
【2011/10/31 15:16 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
切断
区切る、切断するのはなぜか?
連続な何かがあるから
区切るとは、句読点を打ち、新たなスタートを意味する
切断の無いところに、スタートはない
ただ連続があるのみ
平坦で変化も無く、途切れず永遠に続くなら
人は退屈するだろう
 
しかし
その連続が波乱万丈でデコボコで険しければ
決して退屈などしていられないし
一所懸命努力し、精一杯生きていると感じるだろう
だが、連続であることに変わりはない
 
しかし、切断は違う
途切れるからこそ、またスタートをする
切れているからスイッチを入れる
切れているから一つの始まりがある
 
部屋の仕切りがあるから名称を付けて区別する
私の部屋、リビング、ダイニング、トイレ、バスルームetc
区切りがなければただの空間に過ぎない
電燈のスイッチが切ってあるから、スイッチを入れる
ドアが閉まっているから開ける
 
区切りがあるがら、新たなスタートができる
つまり
いつまでもスタート、再開できないのは
区切り、切断がないからだと言える
終わりにできないから始められない
新たなスタートが切れないのは、まだ終わっていないからだ
区切れたなら、また必ずスタートする
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/10/30 16:44 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
外傷体験
自然災害や事故、暴力や虐待などの外力による体験を外傷体験と呼ぶ
それらの外傷体験をしたからといって、すべてが心的外傷となるわけではない
同じ体験をしても、人それぞれ感じ方、受け止め方が違う
 
被害者となり、圧倒的な外力によって「無力」や「孤立無援」を痛感し
それらに対して抵抗や闘争を試みたとしても
いずれも無益に終わった場合、
防衛システムが崩壊、解体する方へと向かう
 
これらの外傷体験や危機が現実に無くなった後も
引き続き長時間にわたってシステムの異常事態が続く
この余りにも激しすぎる状態は心身ともに様々な変化をきたす
 
その体験の記憶が無くなり、思い出せない
逆に細部に渡り記憶しているのに、何の感情も湧かない
感情は記憶しているのに、体験の記憶がない
いつも緊張し、憔悴しているがその原因がわからない
突然、意志とは関係なくその体験が入り込んでくるetc
何らかの外傷体験がある場合、心身に刻印され症状となって現れてくる
 
これらの症状がある人は、PTSDの可能性が高い
もしかしたら・・・と感じた方はご相談ください
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
 
【2011/10/26 20:20 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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