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真面目であることは、何事においても大切で必要なこと
言うまでもないことです ただ、それも過ぎると支障が出ることがあるし 真面目だけでは、人としての幅や面白さに欠けるでしょう もう少し「遊び心」があってもいいのに 面白くないよね 堅いよ 融通を利かせることも必要だ 真面目すぎて、一緒に居ると疲れる などなど 真面目すぎる人は かたくなに、その枠を守っている、 決してその枠を壊さない そのように感じる時もあります なぜ、それほどまでに守るのでしょう? 壊さないのでしょうか? 真面目の仮面の裏には、どのような素顔があるのでしょう? 真面目の反対は?と問いかけてみましょう 不真面目? いいかげん? 誠実でないこと? 我がまま、気まま? このように生きられなかった そのような生き方を選択できなかった=何らかの事情でその機会を奪われた それを表現しないための姿だと言えないでしょうか? 本来は、気ままに生きたい自分が居た それができなかった自分にフタをしている姿だと考えられないでしょうか? 一度でも、気ままな自分が出てしまったら コントルールできないとの恐れから 逆に「真面目」であることでフタをしている ある種の償いの姿だと言えるかもしれません 「気ままに生きる自分」と「真面目な自分」 このバランスをとる方法を身に付ければ きっと、もっと 楽しく生きられるでしょう 興味をもたれた方は シニフィアン研究所のHPをどうぞ http://signifiant-lab.com/ PR |
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「甘える」とは?
辞書には「慣れ親しんでこびる、人の親切・好意を遠慮なく受け入れる」 などと書かれている ここでは 「相手の情に訴え、操作すること」と定義したい なぜなら、日本の場合にはこの傾向が強いように見受けられるからだ 例えば 家族とか恋人とか、友達など親しい人に買い物を頼む場合 A「買い物に行ってきてくれない?」 B「今コレをしてるし、後で仕事もしないといけないし、 頼まれた○○もしないといけないし、することがいっぱいで疲れてるのよ。 だから、買い物に行ってくれない?」 C「いつも私が買い物行ってるから、今日はあなたが行ってきてよ」 D「買い物行ってきて!」 どの言い方に近いだろうか? Aは、端的に言いたいことを伝えている Bは、「自分がなぜ頼むのか」の事情を説明してから頼んでいる Cは、押し付けているように感じる Dは、命令口調で言っている BとCの言い方を考えてみよう これは「甘えている」(特に、Bの言い方の場合に顕著)と言えないだろうか? まず、自分が買い物に行けない理由を並べ立てている これは、 「このように説明すればきっと相手が納得してくれるだろう」 「それなら仕方ないなと思ってくれるだろう」 と、相手の同情など「情」に訴えようとしている また 相手の「嫌だ、NO!」を封じ込めようとする意図が感じられないだろうか? 可能な限り、相手を「良いよ、YES」と言わせる状況に追い詰めている 意識的に、あるいは無意識的に相手を操作している このように追い詰められた場合 どれだけの人が「NO!」と言えるだろうか? 特に、上下の関係性がある場合には なかなか難しいと思える このような会話の根底にあるのは「甘える」であろう 情に訴えて、相手を自分の思うように操作する 「情と情の絡み合い」 これが日常の会話のあちこちに見られるのではないだろうか? なぜ、このような会話になるのだろう? 情に訴えない(甘えのない)理性的な会話をするにはどうしたら良いだろうか? それは 自他の区別をしっかり持つこと 『私はこのように考える。 それに対してあなたが「YES」と答えようと 「NO」と答えようとそれはアナタの自由だ』と認識すること これは フレデリック・S・パールズの「ゲシュタルトの祈り」に通じる この観点をもって会話したなら 「情」に訴えるのではなく、 まずは一番に自分の考えを、端的に相手に伝えるだろう これが「甘えと依存を断ち切った理性的な会話=大人の会話」と言う 会話はここから始まる それでない場合は「情の絡み合い」となる可能性が高くなるだろう 大人の会話をしたいものだ そうすれば 情でがんじがらめになった、 恨み・ねたみ・憎しみと無縁になるに違いない あなたは常に情に訴える会話をしていませんか? 興味をもたれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください http://signifiant-lab.com/ |
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「訳わかんな~い」
という言葉をよく耳にする ほとんどが、若い女性 表現の仕方はともかく 「訳がわからないもの」とは? 『なんと言ってよいかわからないもの』 つまり 『言葉で表現できないもの』 『理由付けできないもの』である 理由付けできないものは、言語で説明できないものでもある これらは どのように心の中に意味づけされているだろうか? それは 【気持ち悪い】である この【気持ち悪い】と感じるものは その人の中では、まだ一度も言語化されていないものである 一度も言語化されていないものは、時空を超えて永遠に生き続ける 遠い過去のことであっても、まるで昨日のことのように思い出す その代表が「トラウマ(心的外傷)」であろう それらは 【生々しいもの】【おぞましいもの】として その人の心の中で、永遠に生き続けている そして、時にはフラッシュバックしてくる そうすれば、過去のものとなるのだろうか? それは 言語化すること=言語で説明すること そうすれば 【生々しいもの】【おぞましいもの】は過去のものとなり インデックスをつけられ、他の記憶の片鱗となるだろう 精神分析はその「言語化」する方法である 興味をもたれた方は シニフィアン研究所 トラウマ(心的外傷)を参照ください http://signifiant-lab.com/trauma/ |
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「どうしてこうなるんだろう?」
「どこが悪かったのだろう?」 「なぜ悪いことばかり起こるのだろう?」 「なぜうまくいかないのだろう?」 このように考えていませんか? これって、すべてマイナス思考ですよね 自分にとって都合の悪いことは、たぶん誰にも起きることでしょう 運が悪いと考えたら、きっと運が悪いのでしょう もし、そのように考えて うまく行くのなら、そのように考えたら良いでしょう 良い事ばかりになったら、それで良いでしょう 反対に どのように悪い原因、失敗の原因を考えても好転しなかったなら このように思考パターンを変えてみませんか? つまり 「プラス思考」に変えるのです その為には、 1)「マイナス思考」になっている自分に気付くこと どうして?なぜ? と問いかけたとき、 無意識のうちに悪い所ばかりを捜している 自分が悪いのを前提に考えている その結果 使う言葉が「否定語」ばかりになってしまい 考えれば考えるほど、悪いことマイナスのことしか思いつかない 『だから自分はダメなんだ』 落ち着く先はいつもココになる そして この堂々巡りとなる 2)「プラス思考」の仕方を知ること どこを変えればうまくいったのか? 何を工夫すれば良いだろうか? うまくいった時(人)とどこが違うのだろう? このように「否定語」を使わないフレーズにして問いかけること その結果 良いアイデアやひらめきが生まれるキッカケとなるでしょう では、どうしてこのような「否定語」を使ってしまうのでしょう? それは簡単である 「否定語」しか知らなかった 「否定語」しか言われてこなかったから 「否定語」の代表格は「ダメ」である 「肯定語」に書き換えよう 「肯定語」の代表格は「OK(良いよ)」です まずは 自分で自分に言おう! 【私はOKだ】 【今はこれで良い】 これが自然に言えたら 間違いなく【プラス思考】になり すべてはうまくいくことでしょう!! プラス思考に書き換えませんか? こちらも参照ください シニフィアン研究所HP http://signifiant-lab.com/ |
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【因幡の白兎】の神話知っている人は多いことだろう
この神話のストーリーの一部を取り出して 現在の子供たちの叫びを重ねてみたい 「嘘をついてワニザメを騙した「白兎」が悪いのですが その神話の中にある 「ワニザメ」に体中の毛をむしり取られ、丸裸にされ、 通りかかった大国主命の兄神様に「海水でカラダを洗い、風にカラダを晒したよい」 と言われて、より酷くなった。 そこへ通りかかった、大国主命によって助けられた。 この部分を、取り出してみたい 体中の毛をむしり取られた白兎 その体に海水と風によって一層酷くなって泣いている白兎 この白兎=言いたい事も言えず、したいこともさせてもらえず、 「アナタのためを思って、こんなに一所懸命お母さんは頑張っているのよ」 と言われて、日々苦悶し、あるいは諦めている子どもたち このように見えないだろうか? 神話の乱暴な解釈だと非難をうけるかもしれないが 現在の子どもたちの叫びを聴いていると 【因幡の白兎】の神話を思い出した 夜遅くまで進学塾や習い事に急ぐ子どもたち 学校のカバンを塾や習い事のカバンに持ち替えて、とんぼ返りする子どもたち 一見、楽しそうにゲームにふける子どもたち 早期に諦めたのか、まるで世捨て人のように徘徊し、たむろする子どもたち それを助長するかのような、青少年の犯罪増加 見守られているが、反面監視されているかのようにも思える これら どこかオカシイと感じる 果たしてこれが正常な振る舞いなのか? どこか、違和感を感じる 子どもが子ども時代を送れなくなっている やけに、おとなしくなっている 行儀が良すぎる 優秀すぎる 出来過ぎる 大人に囲まれすぎている どこかオカシイ ボタンの掛け違いがある気がする オカシイ、オカシイ・・・・・ 何もかも奪われている=【剥奪】と言う 剥がされ、奪われる まさしく 『因幡の白兎』ではないだろうか? 子ども時代を奪っていませんか? 選択の自由を奪っていませんか? 子どもが好きなことから剥がしていませんか? 大好きな人から剥がしていませんか? あなたの子供時代はどうでしたか? 子どもが子どもらしくて当たり前 子どもが大人らしいのは、もうすでに病んでいる 子どもの心は悲鳴を上げているかもしれません 興味をもたれた方はこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/ http://signifiant-lab.com/ |
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