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【2025/07/09 03:41 】 |
179)信じる心が子どもを育てる
「子どもさんを信じていますか?」
このように聞かれたら、
即座に「はい 信じています。」
と答えられるでしょうか?

では
「子どもさんの何を信じていますか?」
さあ、どうでしょう?

ある人は
「子どもの言う事は全て信じられません」
と言いました
この人は、子どもさんの言う事を信じると考えたようです
また、ある人は
「信じていますよ、わが子が悪いことなんか絶対しません」
と言いました
この人は、子どもさんが悪いことをしないと考えたようです
また、ある人は
「人間は嘘をつくから、信じられるときと信じられないときがあるわ」
と言いました
他にもたくさん考えられることでしょう

「お母さんは私のことを信じてくれている」
と思う時
自分の何を信じてくれていると思っているのでしょう?

子どもの何を信じることが、子どもの心を育てるのでしょう?
子どもは何を信じて欲しいと思っているのでしょうか?
子どもは親の何を信じているのでしょう?
信じるってどういうこと?

シニフィアン研究所のHP
「精神分析的子育て法」も参照ください
http://signifiant-lab.com/raise/
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【2012/05/11 13:03 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
寄り添うとは?
寄り添う」=ぴったりと側にいること

この言葉は決して難しい言葉ではないと思う
大好きな人の側に「寄り添っていたい」
あるいは「寄り添って欲しい」
人に「寄り添った考えをする」

では、具体的にどのようにすることだろうか?
『ぴったりと片時も離れずに側にいる』
確かに
いつも側にいてくれるだけで安心する
困ったときはすぐに助けてもらえる
これでOK?
側に居ても「寄り添っている」とは思えない場合もある
ただ側にいるだけでは満足しない
体だけではなく、心も「寄り添っていて欲しい」
人はこの両面(心身)が満たされて初めて
寄り添ってくれている
と感じるものらしい

体が「寄り添っている」ことは、目に見えるが
心が「寄り添っている」かどうかは目には見えない
非常に主観的なものだといえるだろう
外からは「寄り添っている」ように感じられても
その本人が「寄り添ってくれている」と感じなかったなら
その人にとっては
「寄り添ってくれていない」
となるだろう



1)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったら
  ≪ほんとねえ^^可愛いねえ≫と共有できたら
  「寄り添っている」と言えるのだろうか?

2)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪じゃ、買う?≫と言う場合はどうだろう?
  「寄り添っていない?」

3)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪そう?こっちの方がいいんじゃない?≫と言ったら
  「寄り添っていない」と言える?

4)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪・・・(無言or無視)≫
  「寄り添ってない?」

言葉だけでは必ずしも「寄り添っている」とは感じられないかもしれない
声のトーンや身振り、手振り、表情など様々な情報を基に判断する
あるいは
長い付き合い(経験)の中では、
「あいつは、あんなやつだが、心は違う」
と、「寄り添ってくれている」と感じているかもしれない


人の心は、とかく難しくやっかいなものだ
言葉(言語)を使って伝えるのが会話の基本であるのに
言葉だけでは真意は伝わらないのも時として事実
だとしたら
言葉は自由に使えるようでも、不自由なものだ
寄り添う
この言葉一つでも、なかなか相手に伝えにくい

言葉(言語)に興味をもたれたなら
精神分析の世界も覗いてみませんか?
シニフィアン研究所のHPはこちらです
http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/05/02 18:12 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
想いはいつか形となる
『大好きな人を独り占めしたい』
『自分だけのものにしたい』
この想いを言葉にできないでいたある日
自分よりも、その人の心を独占する人が現れることになった
こんな時、人はどのような行動に出るだろうか?

ある一つの例
その人は、自分の想いを言葉にできなかった
だから、「仕方ない、少し我慢すればいい」と思っていた


その人が来る前夜、次のようなことがあったらしい
1.歯ブラシを落とした
2.下着を落とした
3.バスタオルを落とした
これらの失敗は、まず考えられないことし
ましてや三度も続けて失敗するなんて不思議だと言う

この状況は何を語っているのだろうか?
精神分析的観点から考えてみよう
・1~3に共通する言語=「落とす
・「歯ブラシ」「下着」「バスタオル」=その人自身
・自分から大切な人の心を奪う人がやってくる前夜に起こした事
これらのことから
大好きな人の心から落ちてしまった私
寂しい、悲しい、悔しい気持ちを
『落とす』という行動で表現したと考えられる

その人に伝えると
【確かに、その人が来たら、私のことなど忘れてしまうに違いない、と、ふと思いました】
【自分では、そんなに嫌だと感じてはいないつもりだったのですが、、、】
と語った

このように、人は何らかの形で
自分の想いを表現するものだと言える
一見、偶然のように見えることでも
その人の【無意識】から観れば、必然となる
それを
「単なる偶然」と見過ごすか、「必然だ」と受け取るか?
それによって、それ以後がまったく違ってくることだろう

何気ない出来事が
あなたの無意識(もう一人の私)を表現しているかもしれません
興味を持たれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
【2012/05/01 18:05 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
甘えるとは?-大人の会話とは?
甘える」とは?

辞書には「慣れ親しんでこびる、人の親切・好意を遠慮なく受け入れる」
などと書かれている
ここでは
相手の情に訴え、操作すること」と定義したい
なぜなら、日本の場合にはこの傾向が強いように見受けられるからだ

例えば
家族とか恋人とか、友達など親しい人に買い物を頼む場合

 A「買い物に行ってきてくれない?」
 B「今コレをしてるし、後で仕事もしないといけないし、
  頼まれた○○もしないといけないし、することがいっぱいで疲れてるのよ。
  だから、買い物に行ってくれない?」
 C「いつも私が買い物行ってるから、今日はあなたが行ってきてよ」
 D「買い物行ってきて!」

どの言い方に近いだろうか?

Aは、端的に言いたいことを伝えている
Bは、「自分がなぜ頼むのか」の事情を説明してから頼んでいる
Cは、押し付けているように感じる
Dは、命令口調で言っている

BとCの言い方を考えてみよう
これは「甘えている」(特に、Bの言い方の場合に顕著)と言えないだろうか?
まず、自分が買い物に行けない理由を並べ立てている
これは、
「このように説明すればきっと相手が納得してくれるだろう」
「それなら仕方ないなと思ってくれるだろう」
と、相手の同情など「」に訴えようとしている
また
相手の「嫌だ、NO!」を封じ込めようとする意図が感じられないだろうか?

可能な限り、相手を「良いよ、YES」と言わせる状況に追い詰めている
意識的に、あるいは無意識的に相手を操作している

このように追い詰められた場合
どれだけの人が「NO!」と言えるだろうか?
特に、上下の関係性がある場合には
なかなか難しいと思える
このような会話の根底にあるのは「甘える」であろう
情に訴えて、相手を自分の思うように操作する
情と情の絡み合い
これが日常の会話のあちこちに見られるのではないだろうか?

なぜ、このような会話になるのだろう?
情に訴えない(甘えのない)理性的な会話をするにはどうしたら良いだろうか?
それは
自他の区別をしっかり持つこと
『私はこのように考える。
 それに対してあなたが「YES」と答えようと
 「NO」と答えようとそれはアナタの自由だ』と認識すること
これは
フレデリック・S・パールズの「ゲシュタルトの祈り」に通じる
この観点をもって会話したなら
「情」に訴えるのではなく、
まずは一番に自分の考えを、端的に相手に伝えるだろう
これが「甘えと依存を断ち切った理性的な会話=大人の会話」と言う

会話はここから始まる
それでない場合は「情の絡み合い」となる可能性が高くなるだろう
大人の会話をしたいものだ
そうすれば
情でがんじがらめになった、
恨み・ねたみ・憎しみと無縁になるに違いない

あなたは常に情に訴える会話をしていませんか?

興味をもたれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
【2012/04/26 18:35 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
マイナス思考からプラス思考へ
「どうしてこうなるんだろう?」
「どこが悪かったのだろう?」
「なぜ悪いことばかり起こるのだろう?」
「なぜうまくいかないのだろう?」

このように考えていませんか?
これって、すべてマイナス思考ですよね

自分にとって都合の悪いことは、たぶん誰にも起きることでしょう
運が悪いと考えたら、きっと運が悪いのでしょう
もし、そのように考えて
うまく行くのなら、そのように考えたら良いでしょう
良い事ばかりになったら、それで良いでしょう

反対に
どのように悪い原因、失敗の原因を考えても好転しなかったなら
このように思考パターンを変えてみませんか?
つまり
プラス思考」に変えるのです
その為には、
1)「マイナス思考」になっている自分に気付くこと
  どうして?なぜ? と問いかけたとき、
  無意識のうちに悪い所ばかりを捜している
  自分が悪いのを前提に考えている
 その結果
  使う言葉が「否定語」ばかりになってしまい
  考えれば考えるほど、悪いことマイナスのことしか思いつかない
  『だから自分はダメなんだ』
  落ち着く先はいつもココになる
 そして
  この堂々巡りとなる
  
2)「プラス思考」の仕方を知ること
  どこを変えればうまくいったのか?
  何を工夫すれば良いだろうか?
  うまくいった時(人)とどこが違うのだろう?
  
このように「否定語」を使わないフレーズにして問いかけること
その結果
良いアイデアやひらめきが生まれるキッカケとなるでしょう

では、どうしてこのような「否定語」を使ってしまうのでしょう?
それは簡単である
「否定語」しか知らなかった
「否定語」しか言われてこなかったから
「否定語」の代表格は「ダメ」である

「肯定語」に書き換えよう
「肯定語」の代表格は「OK(良いよ)」です

まずは
自分で自分に言おう!
私はOKだ
今はこれで良い

これが自然に言えたら
間違いなく【プラス思考】になり
すべてはうまくいくことでしょう!!

プラス思考に書き換えませんか?
こちらも参照ください
シニフィアン研究所HP http://signifiant-lab.com/    
【2012/04/23 19:35 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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