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【2025/07/02 21:18 】 |
「知ること」と「味わうこと」
「知ること」と「味わうこと」は相反すること

人は味わいつつ知ることをしていると思っているかもしれないが
基本的には、二つは相反することであり
同時には有り得ないことである

美味しい料理を食べているとき
人は無口になっている
その後
「美味い!」と語り
「どうすればこんな料理が作れるのか」
「自分でも作ってみたい」
「レシピを知りたい」
「材料は何を使い、どこのものだろう?」
知りたいと思うかもしれない

あるいは
ゴチャゴチャ言わないで、静かに味わうのが良い
と考えるかもしれない

味わっている時は、語らない
五官を使って、その感覚に酔いしれるだろう

恋人同士がその代表だろう
どんなに愛しているか、言葉では語れない
ただ、こうして側にいたい
言葉なんかいらない
言葉で語ってしまうと、薄っぺらなものになってしまう
まさしく
言語のない世界に居る

語ること、言語化することは
この感情や感覚の世界から離れることでもある
最中に居る時は、人は語れない
そこから少しでも距離を置いた時に、語り始めるだろう

「知ること」と「味わうこと」とは相容れないものである

知りたい方は シニフィアン研究所のHPまで http://signifiant-lab.com/
 
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【2011/12/21 20:56 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
整理整頓ができない

かつてTVで「汚ギャル」と呼ばれる女性の部屋の紹介を見た記憶がある
いわゆる
「片付けられずに部屋の整理整頓ができない」状態
理由はさまざま
「邪魔クサイ」
「面倒」
「疲れる」etc

整理整頓できないのはどうして?
整理整頓する=自分に「必要なもの」と「必要でないもの」を分ける
整理整頓する=不必要なものを『捨てる』こと

この『捨てる』という言語に葛藤を持っている人だと言えよう
なぜなら
自分の身の回りに有るものは、かつて自分と何らかの関係があったものだから
それは自分の一部であったもの
それを捨てる=自分の一部を捨てる
だから『捨てる』ことに葛藤がある

この延長で考えると
体や髪を洗う、排便排尿する=自分の一部を失うこと
つまり、アカやフケや便や尿も自分の一部だったものとなる

【もうこれ以上、何も失いたくない】
と叫んでいる姿が見えてくる
大切な何かを失い続けてきた可能性がある
だから、他者から見て「ゴミ」「汚いもの」だとしても
その人にとっては「愛着のあるもの=自分自身」となるのだ

その人の欲しているものをたっぷり与えよう
そうすれば、必ず不要なものは捨てるだろう
だって、欲しいものが手に入ったのだから!

整理整頓ができなくて困っている方
お問い合わせは シニフィアン研究所までどうぞ 
http://signifiant-lab.com/
【2011/12/17 09:32 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
運が良くなる方法
よく人は「運が良い」とか「運が悪い」と言う
どういうことだろう?
生まれつき運が悪い人はいないはずだ
そう思いたいし、信じたいものだ
 
運が悪いと思うのは
その人にとって都合の悪いことに出会うということ
そして、その結果に対して原因が分からないこと
意識においては原因が分からなくても
無意識では必然だとしたらどうだろうか?
 
自分にとって、都合の悪いことに出会ったとき
それは、かつて自分が嫌な事だとして、自分の中から排除したもの
それが、何かのきっかけで回帰してきたものだと考えられないだろうか?
 
「出会う嫌な事は、すべて自分です
あの嫌いな人も自分であり
この嫌なことも、かつて向き合わずに投げ出したものである
これも、それも、あれも、すべて私です」
と思えたなら、きっと何かが変わるだろう
 
このような観点から、出会っている不都合な事に向き合ってみたら
きっと運が良くなったと思えるだろう!
 
お問い合わせは シニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
【2011/12/10 15:20 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
違いが分かる
違いが分かる
変化が分かる
遠い昔のCMを思い浮かべた人がいるかもしれない
 
簡単なようで、実は簡単でもないこと
違いが分かるとはどういうことか?
違いがあるという認識は、比較しているから
ということは、違いが分かるというのは
比較参照項があるということでもある
 
Aというものが基準となって、他と比べて「Aとは違う」と認識する
つまり、違いが分かるには、最低2つが必要だということになる
 
違いが分かる人は、変化にも敏感となる
「前と比べて違っている所がある」と認識している
味に鈍感な人は「美味しいもの」を食べたことがない
匂いに鈍感な人は「好い匂い」を嗅いだことがない
皮膚感覚が鈍磨している人は「心地よい触れ合い」がなかった
音に鈍感な人は「心地よい声」に出会ったことがない
そう言えるかもしれない
 
経験の量には比例しない
どれだけ気持ちいい、どれだけ好きな体験をしているか質の問題となる
なぜなら
好きなもの(快)は取り入れ、嫌いなもの(不快)は排除しようとするものだから
だとしたら
人はどれだけ好きな快を経験したか=違いが分かる
と言えると思う
 
好きなこと、心地よいことをしよう!!
そうすれば「違いの分かる人」となるだろう
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/12/05 15:22 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
監禁された人は開放感ある部屋にこだわる
住む家にこだわるのは、誰しも当たり前のことかもしれない
理想の家、間取り、部屋にはこだわりたいと思うのも頷ける
 
その住んでいる家を見ると、その人がその時求めているものが見える
家、部屋はその人の精神世界を現したものだから
 
明るい部屋を好む人は、暗い部屋や家に住んでいたのだろう
広い部屋を求める人は、狭い部屋に住んでいた
一人部屋ではなく、共有の部屋に住みたがる人は孤独を味わった人だろう
精神的に監禁(束縛)された人は開放感溢れる部屋にこだわるだろう
 
自分の部屋がなかった人は、早く一人暮らしをしたいと思うかもしれない
木の家にこだわる人は、人の温もりを求めている人
コンクリートがむき出しの家に住む人は、寒々した環境にいたのかもしれない
あるいは、母のおなかの中が冷たかった?
自分には無かったものは、手に入れたいと思う
逆に、馴染みがあるものは、何故か癒されると感じるものでもある
たとえ快適だと感じていなかったとしても
 
このように、住む家、部屋一つにもその人の想いが表現されているとしたら
自分が何を求めているか迷ったとき
生き方に自信を失くしたとき
≪自分が何にこだわっているか?≫
≪自分が一番好きなもの(こと)は何か?≫
そのように問いかけてみよう
きっと
そこに自分の欲望が見つかる糸口があるに違いない
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
 
【2011/12/02 20:30 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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